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[.life] へようこそ。
ここでは女性向けのオリジナルBL小説を連載しています。
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れん :小説担当。萌えの三大要素はスーツとメガネと敬語攻め。
ジョニー:管理担当。最近料理に凝り出しています。
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作品が多くなってきたので「続きを読む」以下にまとめました。
各作品のあらすじから、各話に飛べるようになっています。
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著作権は放棄しておりませんので、作品の一部またはすべての
無断転写、転用、模倣をかたくお断りいたします。
distance ─愛までの距離─ #09
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「やりたいことをやりたいようにやって、気付いたらここにいたんだ……」
小さな頃から何かを作ることが好きで、初めて映画館で映画を見て以来、映像に興味を持つようになった。
大学時代は学業そっちのけで映像研にのめり込み、そこで書いた脚本を送ったら賞を取ったのがこの世界に入ったキッカケだと言う。無論、駆け出しの頃は仕事のオファーなど来るわけもなく、下積みという名の雑用係としてあちこちに出入りしては人脈を広げることも怠らなかった。
自分の手で物語が作れることがとても楽しいと大河は笑う。
「どうするかも、どうなるかも全部自分が決めるんだ。神様になったみたいだろ」
その無邪気な笑顔を見るうちに、周は心の中に溜った澱がすうっと溶けるのを感じていた。
「神様ですか。いいなぁ、脚本家って」
「ハハ。大抵はスポンサーとプロデューサーの横槍に必死こいて抵抗してるんだけどな」
それもまたドラマの宿命だと大河は笑う。
「まぁ、やりたいこと出来る分だけ俺はラッキーだったと思ってる」
「じゃあ、これからもずっとこの道を……?」
「実は、まだまだ他にも野望がある」
急に挑むような顔付きになったかと思うと、大河は大袈裟なまでに片頬を上げた。
確信犯の笑みにも似た得意気な表情に周は気持ちがワクワクするのを感じる。きっと、一緒に仕事をしたら楽しいのだろうなと思わせる表情だった。
だが、策士は常に一歩先を行くものだ。続く言葉に周はパカッと口を開ける。
「男の夢としてダカール・ラリーに出てみたいし、フリークライミングもやってみたい。死ぬまでにトライアスロンは完走したいし、船に乗って世界一周もやりたいな」
「た、大河さん?」
「身体がいくつあっても足りないだろ?」
大袈裟に肩を竦めてみせる彼のどこまでが本気なのか些か疑問だが、一呼吸置くと周はくすりと吹き出した。
「大河さんらしいですね。今の仕事もいいですが、ワイルドなのも似合います」
「何たって、Tigerだからな」
首を傾げる周に、「俺の名前」と悪戯っぽく付け加える。
「うちは見事なまでの女系でね、これでも待望の男の子だったんだ。だから親父は俺に、強くなれ、雄々しくなれって思いを込めてこの名前を付けた」
「いいお話ですね」
「……だと思うだろ。後から聞いたら『Tiger』って音が格好良かったからなんだそうだ」
情けないとばかり眉根を寄せる大河に、悪いと思いつつ笑ってしまう。
「大河ドラマって言ってたのは自虐ネタですか」
「そうでも言わなきゃやってられないだろ」
「ふふ。また、大河さんの面白いお話が聞けました」
箸を置き、温かいお茶を啜る。ゆったりと流れてゆく時間はとても心地良くて、いつまでもこうしていたいと思えた。
「そういう周は? 名付け親はご両親?」
「はい、俺も父親です。ちょっと恥ずかしいんですが……」
意味を紹介するたび、大層な名前を付けられたものだと戸惑ってしまう。それでも興味津々で手元を覗き込んでくれる大河に、周は漢字の成り立ちから説明した。
「この字は元々田んぼの田に地域を表す口が付いた表意文字で、そこから転じて『あまねく』『行き届く』『真心を尽す』という意味があります。『すべてのものに真心を尽す』という願いを込めて付けたのだと子供の頃に教わりました」
自分の生い立ちを調べてくるような授業があったでしょう、と苦笑しながら続けたのだけれど、返事はない。恐る恐る上目遣いに見上げた先、大河が慈しむような眼差しで周を見ていた。
「大河さん?」
「すべてのものに真心を、か……。君そのものだな」
「え? あ、いや、そんな……うわー、改めて言われると恥ずかしいですから。忘れてください」
顔が赤らむまま、両手を振って掻き消そうとするのだけれど、大河が許すわけもない。伸ばされた右手でポンポンと頭を撫でると、満足気にニッと笑った。
「良いことを聞いた。ありがとう」
そう言ってサッと伝票を掴むと、一足先に席を立つ。
金額が分からぬようカードで一括払いに落とされ、会計はワリカンでと訴える声はやんわりと窘められた。
「こういう時は相手に奢らせるもんだ」
「でも……」
あなたは俺の恋人じゃない、喉元まで迫り上がった声をグッと飲み込む。代わりに「ご馳走様でした」と返すと、大河は嬉しそうに頷いて見せた。
駐車場に停めてあった車に乗り込むと、大河は自分に言い聞かせるように短い溜息を吐く。
「さて、名残惜しいが帰るとするか」
助手席の周がシートベルトを締めたのを確認すると、セダンは滑らかに都会の海を泳ぎ出した。
外はすっかり暗く、窓に映る自分の姿もどこかぼんやりとしている。その向こうで煌びやかに光るネオンは、まだまだ眠らない街を象徴しているようだった。
静かに響くジャズがふたりの間を擦り抜けて行く。
それはたとえばテールランプが流れる首都高で鮮やかにハンドルを捌くように、軽やかなウッドベースが気持ちを浮き立たせ、同時に穏やかにもした。
あんなに話したのが嘘のように、車内はシンとしている。
ふたりとも同じ気持ちかも知れない。少なくとも周は、楽しかった今日の余韻に浸っていたいと思った。
ふと、視線に気付いて横を向く。目が合った瞬間、砂糖菓子が溶けるようにふわりと笑う大河に見惚れ、胸がキュッと痛んだ。
「……着いたよ」
いつの間にか辿り着いていたマンションの前。
どうして楽しい時間はあっという間に過ぎてしまうのか、子供のようなことを考えてしまう。それでも、相手を困らせないようにというただそれだけの思いで、周は身体ごと大河に向き直った。
「今日は、ありがとうございました」
「俺の方こそ、我儘を聞いてくれてありがとう」
エンジンが切れた車内はふたりの息遣いさえ浮き彫りにする。伸ばされた手にハッと息を飲み込んだ瞬間、周は大河の胸に抱き寄せられていた。
「……ぁ……」
「別れ際は恋人らしく、な」
そう言って悪戯っ子のように笑う、暗闇に閃く瞳。
僅かな衣擦れの音、密やかな吐息、仄かなコロンの香り、そうした一切が周を混乱させてゆく。心臓ばかりが高鳴り、胸を押えていないと痛みで気を失ってしまいそうだった。
どうして、どうして、こんなにも。
彼が気になり、一挙手一投足に戸惑い、喜び、そして泣きたくなるのだろう。
「お、……おやすみなさい」
慌てて両手を突っぱね、大河を押し返すと、周は歪んだ顔を誤魔化すように懸命に笑った。そうして何事かを言われるより早く車を降りると、そのまま振り向きもせずにマンションに駆け込む。
呼吸が荒くなっても構わずに一気に階段を昇った。
手が震えて、焦れば焦るほど上手く鍵が開けられない自分に舌打ちすればいいのか、自嘲を漏らせばいいのか、それさえも分からない。ようやくのことで開いた隙間から身を滑らせ、後ろ手でドアを閉めると、やっとひとりになれたことに周は長い安堵の溜息を漏らした。
冷たい扉に背を預け、そのままズルズルとしゃがみ込む。はしゃいだ気持ちが今や澱のように底に沈んで行くのが分かった。
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distance ─愛までの距離─ #08
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夕暮れ時の海は昼間とは違った顔を見せる。
湾岸線をドライブしがてら波の煌めきを堪能したふたりは、そのまま大河お勧めという和食屋へ向った。
アクアポートの傍にありながら、入り組んだ場所にあるため客はそう多くない。地元紙にさえ広告を出さないからこそ守られる客のプライベートに、店主の拘りを垣間見ることが出来た。
個々の客席は天井から垂れ下がった簾で仕切られ、竹細工の間接照明が幻想的な模様を浮き立たせている。落ち着いた、それでいてどこか懐かしい雰囲気に、はしゃぎ疲れた周の心もふわりと解けていった。
「好き嫌いはないか?」
メニューを開きながら、向かい側に座った大河が上目遣いで聞いてくる。それに頷きながら周は口端を上げた。
「はい。もし良ければ、大河さんのお勧めをいただいてみたいです」
「了解」
いくつか見繕ってくれるのを聞きながら、周の視線は大河の喉に注がれる。
発声するたび上下に動く喉仏、太い喉も男らしい。ガッシリとした体躯も、太い腕も、ゴツゴツとした手だって自分のとは大違いだ。メニューを捲る指先に見とれていたその時、不意に片方の手が自分に伸びた。
「どうした?」
ポン、と頭を撫でられる。彼の癖なのだろうか、まったく他意のない様子に周はプロテクタの強度を確かめた。
「いえ……綺麗な手だなぁ、と思って……」
「綺麗!? どっから来るんだ、そんなセリフ。骨張ってるだけだぞ?」
心底驚いたという顔は初めて見るもので、周はそっと記憶に刻む。
「綺麗って言うなら周の方がずっと綺麗だ。初めて見た時、俳優かと思ったよ」
「ふふ。嘘ばっかり」
「嘘なもんか。言われるだろう、カメラ映えしそうだって」
ムキになった表情は年齢より彼を幼く見せた。クスクスと笑いを堪えながら、周は運ばれてきたサラダを取り分ける。
「確かに昔は、撮られてましたけど……」
「やっぱりそうか。俺の目に狂いはなかったな」
自分も料理に箸を付けつつ、周はこれまであまり人に話したことのない自分の過去を少しずつ繙く。特に秘密にする重い話のつもりではないのだが、聞いた側が顔を曇らせることが多いため、いつの間にか口を閉ざしていた。
「実は、子役をしてたんです。何も分からなかったので、ただ大人の言うことを素直に聞いていただけでしたが……」
「うーん、残念」
「残念?」
これまでの誰とも違う、初めての反応に周が小首を傾げると、対峙する相手は物怖じすることなくニカッと笑った。
「その頃この仕事してたら、ちっちゃな周が見れたのにと思うと勿体なくてさ」
「いえ、そんな大層な役だったわけじゃないんです。たまたまもらえたというか、運が良かっただけで……」
「運と華も才能のうち」
ビシッと言い切った大河の言葉は、これまでドラマの脚本家としていくつもの作品に携わってきたからこその説得力がある。テーブルに並んだ料理の取り皿を周から受け取りながら、大河は改めて向き直った。
「俳優になる気はなかったのか?」
「それが……ちょっと、事故に遭いまして」
重くならないようにしよう、そう思い極力何でもないことのように話したのだが、大河は真正面から視線を外すことなく対峙する。逃げることすら許されなかった。
「現場の移動中に追突されたんです。外傷は特になかったんですが、とても恐かったことだけ覚えています。それからしばらくショックで声が出なくなって、そうこうするうちに撮影がクランクインしてしまって……。ようやくもらった役も代役になって、それっきりです」
今はトラウマもないんですが、と努めて明るく締め括ると、何かを考え込むように大河は一点を見詰めている。痛みを分かち合うように目を細め、過去に寄り添おうとしてくれているのが見て取れた。
「良く、頑張ったな」
何が、とも、何を、とも言わない。けれどそれだけで充分だった。
「俳優の君を見てみたかった気もするが、俺達が出会えたのは君がADだったからだ。大変だったことにこんなことを言って気を悪くするかも知れないが……俺は、感謝してるよ」
「大河さん……」
「出演者として一緒に仕事は出来なくても、制作スタッフとしてならいくらでも繋がりがある。早くドラマの方に転向出来るように、俺が多田さんを説得してやろう」
「うわ、そんなことしたら後ろから刺されますよ」
しんみりしていた話を上手いことまとめただけでなく、笑いまで引き出す大河の手腕に周はただ圧倒される。初めて、この話をして良かったと思った相手に巡り会った。それが何より嬉しかった。
やはり、自分のルーツなのだ。
切って捨てられない過去なのだ。
「大河さんに、聞いてもらえて良かったです」
そう言って笑うと、脚本家は穏やかに目を細める。
「俺も、話してもらえて良かった。周のことを知るのは嬉しい」
まるで口説き文句のような言葉に、頑なであろうとした心がドキリと跳ねた。
「本当ですか」
「あぁ。聞けば聞くほど、まだまだ知らない素顔が顔を出すからな。無垢で純情だっていう最初の印象がどれぐらい覆るか楽しみだ」
「な…っ 酷いこと言わないでくださいよ」
顔を赤らめて抗議すると目の前で大河が楽しそうに笑う。何か言い返してやろうと息を吸い込んだのを見計らったかのように、煮物が運ばれ周は口を噤まざるを得なくなった。
だが、浮かれた気持ちも大河を見ているうちに穏やかになる。
「お、美味そうだな。ここの炊き出しは絶品だぞ」
早くも釘付けとばかり目を輝かせる姿はとても35歳とは思えない。嬉しそうに里芋を頬張るのにつられ箸を延ばした周は、優しい味に舌鼓を打ちながらも、ふと視線を感じて目を上げた。
そこにあるのは、妖艶さを湛えた眼差し。
何事かを意図しているのだろう、含み笑いまで忍ばせて大河はニヤリと片頬を上げた。
「口は大きく開けない主義かい?」
「……え?」
「食べることは人間の行為で一番エロティックだというのが俺の持論だ」
「は、……はぁ!?」
あまりに予想不能な変化球に周は片手で口を押える。驚き過ぎて咀嚼途中の椎茸をもう少しで吐き出すところだった。
「そんなこと言われたら大河さんの前で食事出来なくなるじゃないですか」
「いいじゃないか、減るモンじゃなし」
「減りますよっ。たぶん。いや、絶対に、精神的な何かが」
断固反対と唇を尖らす周を余所に、失礼にも大河は派手に吹き出す。
「いいね。そういうところも周らしい」
「人を揶揄って遊ばないでください」
周が釘を刺すと、相手は悪戯っ子のように肩を竦めた。
「これでも人生経験に裏打ちされた持論なんだけどな。綺麗に食事出来る人間は、大抵のことも上手くやる」
「いろんなことをそこにまとめないでくださいよ」
「あ、この鱧美味いぞ」
「いただきます」
まったく、ああ言えばこう言うといった具合に、さすが筆を扱う職業なだけあって脚本家には音を上げるということを知らない。挙げ句の果てには上手く誤魔化され、周としては溜息ひとつで許すしかなかった。
こうやって甘やかしたり驚かせたり、そうして主導権を握らせた振りをしてしっかりハンドリングしているところが大河らしい。懐の広い大人を感じさせる遣り取りに周は夢中になり、いつになく良く喋った。
「俺のことを話してばっかりです。大河さんのことを聞いてもいいですか」
「そう面白い話もないぞ」
「いいですよ。大河さんが俺の話を聞けて良かったって言ってくれたように、俺も大河さんのことが知りたいです」
真直ぐに見上げる周の視線に大河は目を細め、ふわりと笑う。
「そんな顔されたら何でも暴露しないとな。……さて、どんな話がいい?」
「じゃあ、脚本家になったキッカケを」
腰を据えた割に当たり障りのないところから切り込んだ周に、それもまた相手らしいとひとつ頷くと、大河はゆっくりと語り出した。
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拍手のお礼
いつもパチパチしてくださる方、メッセージくださる方、
どうもありがとうございます。皆さんのおかげで頑張れます(^-^)
web拍手コメントへのお返事は遅れることがありますため、
気長にお待ちいただけると嬉しいです。
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2010/02/08 06:16
chikoさまへ>
そうなんですよ〜〜周が〜〜〜。
書いてる分にはまだ先も分かってるし、
お話動かすことを最優先にしていますが、
読み返すと結構「……うっ」と来るものが。
なので、リアルタイムで1話ずつお付き合いいただく
chikoさまのご心痛たるや……すみません(>-<;)
大河鈍感説、新鮮でした! なるほど!!(笑)
これまでの経験は今後、過去と現在を行き来しつつ
語っていくとして、今の時点では
ちょいと周に甘え中といったところでしょうか。
こんなオッサンも好きなんですけどね〜〜(笑)
もどかしい恋はまだまだ続きますので、
引き続きよろしくです♪
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2/6 までのお返事は「続きを見る」からどうぞ。
distance ─愛までの距離─ #07
←前話へ
気分転換にデートしよう。
大河からそんなメールが届いたのが一昨日のこと。
周の休みに大河が合わせる形で予定は決まり、車で迎えに行くという大河に家の地図を送ったり、道を説明したりしているうちに時間が過ぎた。思い掛けない予定に浮き足立つ周にとって、同性とのデート自体生まれて初めての経験だった。
そこに愛がなくても構わない。
大河といられればそれでいい。
最近では、自分の心に対する鍵の掛け方もだいぶ上手くなり、無駄に動揺しなくなった。
それが心の鈍化を差すのだとしても周に振り返る余裕はない。ただただ迫り来る痛みの波から懸命に自分を守った結果、過剰反応をしないようプロテクタが築かれたのだ。
約束の13時を少し過ぎた頃、マンションの前に真っ青な車が停まる。一目で外国車と分かるそこから大河が降り立った瞬間、周の胸が高鳴った。
「おはようございます!」
「やぁ。朝から元気だな」
窓から身を乗り出して手を振る周に、大河は眩しい笑みを向ける。
「今降りて行きますから」
そう言って身体を引っ込めると、周は家中の鍵を閉めて階段へと向った。
カンカンと小気味良い音を響かせて階下へ降りながら、十字を切るように胸の前で手を合わせる。
どうか取り乱しませんように。
少しでも楽しい時間が過ごせますように。
暑い日差しに映える真っ白なシャツ、その胸元をトントンと叩くのが心に鍵を掛ける周なりの合図。これで大丈夫、何があっても悲しくなんかない。
一旦自分に整理を付けると、周は車に凭れる大河の元へと駆け出した。
「休みの日に悪いな。君を独占してしまって」
迎えてくれた大河は局で見掛ける姿と違い、紺のポロシャツにチノパンと随分ラフな格好をしている。それでもこざっぱりした出で立ちが逆に彼のワイルドさを引き立て、仄かに香る香水が魅力に深みを加えていた。
「いいえ、休みの日は寝てばかりですから」
何でもないことのように返しながらも、早くも跳ね上がる心臓を押さえ付けるので必死だ。半袖から伸びる逞しい腕に見惚れる視線をさり気なく逸らしつつ、周は助手席に乗り込んだ。
「今日はどこへ行くんです?」
「プランならいくつかある。周に聞いてから決めようと思ってたんだ」
静かにスタートした車は小道を抜け、都内を首都高に向って直走る。降り注ぐ太陽がスカイブルーのボンネットに反射し、波のようにキラキラと光っていた。
「海みたい……」
それを見ていた周がポツリと漏らした一言を聞き漏らさず、大河が口端を上げる。
「行きたいかい?」
「え? あ、……はい」
素直に頷くと、信号待ちで車を停めた大河が助手席にチラとウィンクを投げた。
「そう言うんじゃないかと思って、お勧めのコースを用意してある。しかも海と空、両方だ」
「凄い。どこですか?」
「それは着いてのお楽しみ、な」
くすりと笑うと策士は再びアクセルを踏み出す。
パワフルに加速し始めた車は順調に首都高に乗り、大動脈と呼ばれる中心部を軽快に横切って行く。分岐点を幾つも越え、やがて周囲の建物が疎らになり出した頃、フロントガラスを横切る巨大な飛行機に周は思わず声を上げた。
「おっきい!」
「ハハハ。いい反応だ」
「あ……。えと、子供みたいって、よく多田さんに笑われます……」
真っ赤になりながら俯く周になおも肩を震わせると、大河は柔らかに眉を下げる。
「いいじゃないか、こういう時は子供で結構。興味の赴くままに行動出来るってことも、物作りでは大事なことだ」
「大河さんも、ですか?」
「あぁ、勿論。俺は海も好きだが空も好きでね。特に飛行機を見るのは大好きだ」
空港の駐車場へと車を停め、ふたりは展望台へと足を向けた。
平日にも関わらず多くの人で賑わっているフェンスの傍では、根っからのファンがカメラ片手に居座っている。子供連れの夫婦がのんびりと昼食を摂り、旅行者と思しきカップルが口々に感想を述べ合う中、周もまた先を行く大河について轟音轟く中デッキを歩いた。
次々と離発着を繰り返す巨大な飛行機は、それ自体が鉄の塊だということを忘れさせる。さも当たり前という顔をして、広大な滑走路の上を滑らかに滑り、そして宙に浮いて行く様はずっと見ていても飽きることがない。フェンスに手を掛け見守る周の傍らで、大河もまた口端を上げた。
「こういうのはつまらないかも知れないが、もう少しだけ付き合ってくれ」
「そんなことありません。俺の方こそ、もうちょっとってお願いしようと思ってました」
互いに顔を見合わせ、くすりと笑うと改めて滑走路へと視線を落とす。今まさに大阪行きのボーイング777が飛び立とうとしていた。
「飛んで行く姿って、美しいですね。迷いがないからなんでしょうね」
思わず呟いた言葉に大河が向き直る。
「周……」
「あ、すみません。変なこと言っちゃいましたか」
「いや……少し、驚いた。俺も同じことを思ってたんだ」
「大河さんも?」
向き合ったふたりを余所に、飛行機は助走に入った。徐々にスピードを上げてゆく機体を見送りながら周は心音の高まりをそれに重ねる。
飛び立つことに迷いがない。
ただ真直ぐに、ひたすらに、向う先だけを見ている。
それが少し羨ましくもあり、自分に重ねられぬもどかしさが悔しくもあった。
「……周?」
「あ、あぁ、すみません。見とれちゃいました」
ホラ、と指差した先、翼が雲に吸い込まれて行くのが見える。光に向って飛んで行く航路の安全をそっと祈ると、周はわざと大袈裟にノビをした。
「いいなぁ。飛行機に乗って、どこか行きたい」
「この間だって行ってたじゃないか、鹿児島」
「あれは仕事じゃないですか。その上日帰りだなんて、温泉にも入れず名物も食べれず……」
多田がゴリ押しした強行軍を引き合いに出され、周は頬を膨らませる。
「そういうんじゃなくて、もっと楽しい旅行がしたいです。どこ行こうかなって考えたり、何しようかな、何食べようかなって、そういうのにワクワクしたいんです」
「ハハ。そうむくれるな。忙しいのも若いうちはいいことだ」
「それは分かってるんですけどね。こうして飛行機見送ってると、なんだか旅に出るような気分になっちゃって……」
「じゃあ行くか?」
「え?」
何気なく口を突いた言葉、それがこんな風に受け取られるとは思いもしなかった。
驚いて振り仰ぐと、悪戯っぽい眼差しがウィンクを投げて寄越す。
「……なんてな。これ以上周を独占したら罰が当たる」
「そ、そんなこと……」
ない、と否定しようとした声は、だが穏やかに笑う表情を前に掻き消された。
「……っ」
咄嗟に胸を押える。危うく本音を零してしまうところだった。
ただの社交辞令、或いはその場の会話を繋ぐものとして綺麗に受け流すのが自分の務め、期待してはいけない。
「そろそろ海見に行きましょう」
そう言って促すと、周は先に立って歩き出す。
歪んだ顔を見られないようにするため、少しの時間が必要だった。
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