ships #04
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片付けても片付けても、降ってくるのが仕事らしい。
溜息で塗り替えられた朝。
昨日の深夜残業などどこ吹く風と朝一番に招集される会議に参加すべく、山のような資料を抱え、ついでに小沢にも助っ人として荷物持ちをさせながら、安里はミーティングルームに向かって闊歩していた。
戦略マネジメント開発部という、花形を絵に描いた部署が入っているフロアだけあって、敷かれているカーペットにさえ違いが出ている。長めの毛足に靴底を擦らせ、もう何度目か分からない溜息と共に目を泳がせた、その時。
視線の先に、見知った顔。
薄いグレーの上品なスーツに身を包んだ長身。整えられた髪はさり気なく後ろに流され、品のいいライトブルーのネクタイが全体を爽やかな印象をまとめていた。傍らにいる上司と思しき人物と和やかに会話をしながら時折口元に手をやる仕草は、いかにも洗練された雰囲気を醸している。その彼がこちらを向いた瞬間、安里の中で時系が歪んだ。
「……あ、」
もしかして、昨夜の……?
呟いた声は決して届く距離ではなかったのに、見えない糸に操られるように相手がふと顔を上げた。互いの姿を瞳孔に映す、時間にして1秒にも満たなかったその再会は、けれどあっと言う間に瞬断される。目を逸らされるというやり方で。
両手に荷物を携えたまま立ち止まる安里に気付き、先を歩いていた小沢が振り返った。
「どうした? ……あぁ、知り合い?」
何気なく問えば、心外だと言わんばかりにブンブンと首を振る友人に助っ人は眉を下げ苦笑を漏らす。
「あの人、戦略部の水瀬さん。有名だぜ」
聞けば花形部署のやり手らしい。
異なる部署であっても、それがいかに凄いことなのかはこの場にいれば嫌でも分かる。恐らくは生まれた時からオツムの出来が違うのだろうというぐらいしか推測出来ることはなかったが、そういえば……と付け加えられた何気ない一言で更に格の違いが浮き彫りになった。
「今年度から課長補佐になったんだってさ」
「……は? あの人いくつ!?」
遠目であれ、30前後にしか見えないのに。
「ま、昇進は頭だけじゃないって言うけどな」
目は口ほどに物を言ったのか、表情を汲み取った小沢は意味ありげに口端を持ち上げて見せた。
「上にコネ作んのは勿論、同レベルのヤツは蹴落とさないと生き残れない。特に戦略部は揃いも揃った精鋭部隊だからな、頭脳プレーも厳しいらしいぜ」
他人に厳しく、手は差し伸べない。
もしそれが本当だというのなら、昨夜、暗がりで脅かしたのに謝りもしない態度に納得がいった。無論、溜飲が下がったというだけで、好ましくないことには変わりない。いやむしろ、原因が分かったことで昨夜のモヤモヤが怒りという輪郭を与えられ、行き場のないまま燻り出した。
「俺、あの人とだけは一緒に仕事したくない」
言い捨て、さっさと歩き出す安里に、小沢は苦笑いを浮かべながら後を追う。
「まー、気にすんなって。別世界のことだから」
そうこうするうち、ようやくのことで会議室に到着。重いドアを前にして、ふたりはひし、と向かい合った。
「……そうだよね。ウチにはウチの風土があるしね」
「扱き使われ通しで根回しどころじゃないしな」
「現に今だって働き詰めの成れの果てで」
「その上会議は始まってるし」
「───!」
苦労人が無言で絶叫する。
バタバタと駆け込んだ会議室、矢のような視線が一斉に降り注いだとしても、そこに人情味があるような気がして何故かホッとするふたりであった。
無論、ミーティング後にお説教があったことは言うまでもない。
ships#05 に続く
ships #03
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「安里、帰りどっか寄らないか」
いよいよ残業に突入しようという午後6時。
肩を叩かれ振り向くと、部署の仲間が椅子を囲んでいた。
「あー、そうしたいんだけどねー……」
戻した視線の先、デスクの傍らにはキーボードを半分塞ぐ勢いで膨大な紙の束が居座っている。机の1/3を占拠した書類は先程問答無用で押し付けられた突発仕事で、今夜のフル残業を確定させていた。
「こりゃ凄いことになってんなァ。いつまで?」
「明日」
「……かわいそうになー…」
しみじみといった風に溜息を吐いてくれるのは同期の小沢である。途中入社である安里とは勤続年数は違うものの、気が合う間柄として何かと気に掛けてくれるありがたい存在だった。
手伝ってやりたいのは山々なんだけど、と労う小沢に苦笑を返す。同じ法務部に籍を置いてはいても、基本的にチームが違うため業務内容の詳細を把握しているわけではない。非情にありがたい申し出は気持ちだけ受けることにして、安里は溜息と共に仲間を見送るしかなかった。
「……さて、と」
印刷された契約書原案の山。
法務部の仕事は契約内容の確認から権利侵害まで多岐に渡るが、その中でも特に今夜は複数の取引先に跨った個別契約内容の精査という、疲れた時に一番やりたくないパターンだ。何せ、相手ごとにこれまで関わってきた経緯が違う。また、異なる条件で既に他の部署と契約を交わしている可能性もある。調査がいかに膨大かは着手30分で容易に知れた。
「挫けそう……」
その上、手元の書類に対する参考資料として、普段は倉庫に施錠保管されているキングファイルが必要と判明する。あまりの厚さに凶器としか思えないそれを一体何冊使うのかと気を遠退かせつつ、安里は薄暗い倉庫に足を踏み入れた。
狭く、暗く、蒸し暑い。
三拍子揃った極悪空間に辟易し、一刻も早く退出しようと開錠を試みるのだけれど、普段の使用率の低さからかなかなかスムーズに開かない。じわり、と吹き出す汗の感触に徐々にイライラを募らせ、力任せに鍵を回した、その時───。
「……わっ!」
一瞬視界が真っ白になる。
瞳孔を焼く強烈な光に安里は思わず手で顔を覆った。その瞬間鍵が外れ、あろうことかファイルの山が一瞬にして雪崩を起こす。あっと声を出す間もなく無惨に散らばったそれは、例えるなら溶岩のように後から後から崩れ落ちては床を埋め尽くした。
「痛……った、……あぁあ!?」
突然のことに茫然自失の安里に対し、光の主──懐中電灯でこちらを照らす、社員と思われる男性の態度は正反対に冷静だった。
高い上背に短く揃えられた髪。残業時間だというのにキッチリ締められたネクタイが生真面目さを表している。細いフレームのメガネは瞳の色を隠し、表情を伺い知ることは出来なかった。
だが、言葉を交わさずともこの状況、少なくとも突然のフラッシュで先客が驚いた拍子に資料をブチ撒けたことは明白であるにも関わらず、我一切関知せずとした態度を崩さず、冷ややかな視線で流したのみで、必要なものを棚から取り出すなり回れ右して出て行ったあたり、図太い神経に感心さえする。無論相手が自分でなければ、の話である。
「……なんだ、あれ。嫌なヤツ」
思い切りファイルの角で打った足首をさすりつつ、ボヤいてみても後の祭り。安里の周囲には順不同の青いキングファイルがまるで海のように広がっており、それをすべて棚に戻すまで部屋を出ることさえ出来ないのである。
その上、仕事はまだ終わっていない。
「もう最悪ーっ!」
資料室に半泣きの絶叫が響き渡る。
この出会いが今後の人生を左右することになるなど、仕事で頭が一杯の安里には思う由もなかった。
ships#04 に続く
ships #02
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黒曜の瞳が忙しなくディスプレイの上を往復する。
頬に影を落とす長い睫毛は、手元の書類と画面を行き来するたび前髪と触れ合い、伸び始めたそれを意識させた。綺麗に整った容姿の中、目だけが不安気な色を映す。かつて灼け付くような情熱を宿したことなど幻だったと言うように、つとパソコン画面から逃げた視線は窓の外を力なく彷徨った。
抜けるような青空。
あの頃、一番見ていなかったもの。
それはほんの数年前のことなののだけれど、当時の自分を思い出すたび代わる代わる現れては消えてゆく過去の恋人達の横顔を追い掛け、安里の思考は深い海に吸い込まてゆく。
思い出はいつも短かった。
好きになるたび入れ込み過ぎてしまう自分の愛情は、相手には重いものなのだと教えてくれたのは何人目だっただろうか。それでも愛したくて、愛されたくて、与えるたび捨てられてきた。
土台無理な話なのだ、と今にして思う。
未だクローズドの性を背負っている自分にとって、同じベクトルの相手を見付けることがどれだけ高いハードルか分からなかった。パートナーを求めるのは、ゲイとして生まれながらヘテロのフリをして社会生活を営んでいるギャップに苦しみ、周囲が洩らす心ない言葉に傷付いた心を癒したかったのかも知れない。
ありのままに生きられたらどんなにいいだろうという切望。
もういっそゲイであることを忘れて生きたいと思う葛藤。
終わりのない逡巡に安里は疲れていた。心に鍵を掛け己を守るしかなかった。崖に追い詰められた手負いの獣のような、それはあまりに悲しい決断。
下唇を噛み締めたその時、まるで見計らうかのように、傍らの電話が着信を告げた。
「はい、RSC企画の安里です」
習慣と化した決まり文句で受話器を取り上げ、今し方の残像を追い払う。思考を現実世界に引き戻しながら、安里は次第に仕事に没頭していった。
ships#03 に続く
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