ships #03
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「安里、帰りどっか寄らないか」
いよいよ残業に突入しようという午後6時。
肩を叩かれ振り向くと、部署の仲間が椅子を囲んでいた。
「あー、そうしたいんだけどねー……」
戻した視線の先、デスクの傍らにはキーボードを半分塞ぐ勢いで膨大な紙の束が居座っている。机の1/3を占拠した書類は先程問答無用で押し付けられた突発仕事で、今夜のフル残業を確定させていた。
「こりゃ凄いことになってんなァ。いつまで?」
「明日」
「……かわいそうになー…」
しみじみといった風に溜息を吐いてくれるのは同期の小沢である。途中入社である安里とは勤続年数は違うものの、気が合う間柄として何かと気に掛けてくれるありがたい存在だった。
手伝ってやりたいのは山々なんだけど、と労う小沢に苦笑を返す。同じ法務部に籍を置いてはいても、基本的にチームが違うため業務内容の詳細を把握しているわけではない。非情にありがたい申し出は気持ちだけ受けることにして、安里は溜息と共に仲間を見送るしかなかった。
「……さて、と」
印刷された契約書原案の山。
法務部の仕事は契約内容の確認から権利侵害まで多岐に渡るが、その中でも特に今夜は複数の取引先に跨った個別契約内容の精査という、疲れた時に一番やりたくないパターンだ。何せ、相手ごとにこれまで関わってきた経緯が違う。また、異なる条件で既に他の部署と契約を交わしている可能性もある。調査がいかに膨大かは着手30分で容易に知れた。
「挫けそう……」
その上、手元の書類に対する参考資料として、普段は倉庫に施錠保管されているキングファイルが必要と判明する。あまりの厚さに凶器としか思えないそれを一体何冊使うのかと気を遠退かせつつ、安里は薄暗い倉庫に足を踏み入れた。
狭く、暗く、蒸し暑い。
三拍子揃った極悪空間に辟易し、一刻も早く退出しようと開錠を試みるのだけれど、普段の使用率の低さからかなかなかスムーズに開かない。じわり、と吹き出す汗の感触に徐々にイライラを募らせ、力任せに鍵を回した、その時───。
「……わっ!」
一瞬視界が真っ白になる。
瞳孔を焼く強烈な光に安里は思わず手で顔を覆った。その瞬間鍵が外れ、あろうことかファイルの山が一瞬にして雪崩を起こす。あっと声を出す間もなく無惨に散らばったそれは、例えるなら溶岩のように後から後から崩れ落ちては床を埋め尽くした。
「痛……った、……あぁあ!?」
突然のことに茫然自失の安里に対し、光の主──懐中電灯でこちらを照らす、社員と思われる男性の態度は正反対に冷静だった。
高い上背に短く揃えられた髪。残業時間だというのにキッチリ締められたネクタイが生真面目さを表している。細いフレームのメガネは瞳の色を隠し、表情を伺い知ることは出来なかった。
だが、言葉を交わさずともこの状況、少なくとも突然のフラッシュで先客が驚いた拍子に資料をブチ撒けたことは明白であるにも関わらず、我一切関知せずとした態度を崩さず、冷ややかな視線で流したのみで、必要なものを棚から取り出すなり回れ右して出て行ったあたり、図太い神経に感心さえする。無論相手が自分でなければ、の話である。
「……なんだ、あれ。嫌なヤツ」
思い切りファイルの角で打った足首をさすりつつ、ボヤいてみても後の祭り。安里の周囲には順不同の青いキングファイルがまるで海のように広がっており、それをすべて棚に戻すまで部屋を出ることさえ出来ないのである。
その上、仕事はまだ終わっていない。
「もう最悪ーっ!」
資料室に半泣きの絶叫が響き渡る。
この出会いが今後の人生を左右することになるなど、仕事で頭が一杯の安里には思う由もなかった。
ships#04 に続く
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