ships #07
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「そんじゃ、かんぱーい!」
賑やかな店内に一際明るい声が響く。
金曜の夜。
文字通りかき入れ時の店はまだ18時半だというのに既に満席状態で、1週間の終わりに浮き足立った人々を迎え入れていた。仄かに落とされた琥珀色の照明の中、心地よいジャズが擦り抜けてゆく。最初のビールに口を付けながら、久々のアルコールに脳がクラリと揺さ振られた。
波に揺れる頭で、ふと思い出した遣り掛けの業務。一度目を閉じ残像を追い出す。今だけは忘れていようと思った。
最近仕事に追われ、元気すらなくなってきた安里を心配した仲間が、たまにはと設定してくれた合コン。女性が苦手なわけではないが、恋愛対象にならない自分はこの場にいるのが申し訳ない気もしたけれど、机にしがみついている自分を引っ張り出し、発散させようとしてくれる仲間の気持ちが嬉しくて、もう一口、麦芽を含む。喉が鳴る感覚は、本当に久しぶりだった。
「よーし、飲むぞー!」
そう言って空のジョッキを掲げたのは同じ部署の仲間。
「杉谷、おまえもうビールないのかよ」
「少しは女の子に気ィ使えよなー」
「いいよいいよ、今日は飲もうよ」
「お、分かってるね〜」
さり気ないフォロー、途端顔の筋肉を弛める姿に一同が笑う。明るく、場を盛り上げることに関しては右に出る者なしの彼は、こんな飲み会の席が実によく似合った。
「そうそう、今日は安里もいるしな。……あ、こいつね、いつもひとりで残業してんの」
そう言って向かいに並んだ女性陣に紹介して回るのは同期の小沢。酔うと人の秘密を洗いざらいぶちまけるので危険物扱いされていたが、もうひとつ困るのが滅法酒に弱いということ。現に乾杯の音頭を境に目が座っている。
「えー、お仕事、忙しいんですかぁ?」
「……あ、まぁ、最近は」
「すんごいスパルタなリーダーに付かされちゃってさ、毎日こーんな量の資料読んだり書いたり……」
「うわー。大変なんですねー」
大袈裟に両手を広げる小沢の話を真に受けた相手は、安里と交互に見比べながら素直に感心している。
「そのリーダーってのがバリバリのやり手なんだけど、なんか取っつきにくい感じでさ」
そういう人っているじゃん、とグラスを傾けながら苦笑する同期の横顔を見ながら、何故だろう、胸のあたりが少しモヤモヤする。小沢が言っていることが強ち外れではないと知っているし、水瀬と関わるまでは自分も同じように彼を捉えていたのだけれど、どうしてだろう───気分が悪い。
「……悪い人じゃないよ」
それだけしか言えなかった。上手く説明出来なかった。
「うわ、意外な発言。おまえプロジェクトで何かあったのか?」
「いや、そういうわけじゃないけど……。一緒に仕事してるから、だんだん分かってきたこともあるっていうか……」
誤魔化すために飲むビールほど苦いものはない。
「なんか、でも、そういうのっていいですよね。男の人って仕事で分かり合えそうだもん」
無邪気な彼女の笑顔ほど後ろめたいものはない。
「俺も分かり合いたいなー。君とー」
「あはは。やだー。何言ってるんですかぁ」
あぁ、上滑りする苛立ちほど空しいものはないのだ。
「そうそう。聞いてよ、この前さー……」
止めどなく流れて行く相棒の話に彼女が時折頷きながら聞き入っている傍らで、安里はビールを飲み干した。最初の一口を食道に通した時の眩暈に似た感覚は既になく、血液に染み込んでゆくアルコールが徐々に爪先まで行き渡るのを感じ取る。
懐かしい感覚。
昔は──そう、昔は、こんな風に夜の中で生きていた。
ダウンライトのカウンターで、恋人のことばかり考えて過ごしていた。
次はいつ会えるかと憂えて。昨日の喧嘩を後悔して。一昨日のキスを思い出して。抱き締めた匂いを追い掛けて。恋愛だけがあの頃の自分のすべてだった。
取り出した思い出はあまりにリアルで、懐かしむには近過ぎて、だからそっと溜息を吐く。昔と今、対極にあるそのどちらもが自身であることに変わりはないのに、それぞれをどう扱ったらよいのか今の自分には分からなかった。
ぼんやりとした思考で賑やかな宴を見守る。一度フラッシュバックした過去はそう易々とは消えなかった。彷徨うように求め続け、意識は深く沈んでゆく。
あの頃一番好きだった酒を。
あの頃一番好きだった場所を。
あの頃一番……好きだった人を。
ships#08 に続く
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