ships #09
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2杯目のオーダーを頼む頃、安里はすっかり元の水に戻っていた。
馴染む温度。心地よさに身を委ねながらなおもコウとの昔話は続く。
「こうしてると、最初の頃が懐かしいわぁ」
しみじみといった風に頬に手を添えるのは単に昔を思い出しているだけでなく、今やサラリーマンに転職し、かつての可愛らしさが薄れてきた相棒に対する嘆きである。なにせ、コウにとって安里は手塩に掛けた箱入り娘も同然。この世界に足を踏み入れたばかりの安里がフラリと店を訪れた際、酒を出したのがコウだったのだ。
「初めてって感じで、すっごいドキドキしてたよねー」
「そりゃそうだよ。なんかもう、どうしていいのか分かんなかった」
「そんな感じだったわぁ。それ見てキュンときたもん」
カウンターに座っただけでひどく緊張して、スタッフと話すだけで舞い上がって、周囲をつぶさに観察したいのにいざ目を上げても視線は泳ぐばかり──典型的なセクシャリティ自覚直後の行動だった。中学に上がる頃には既に己の性を自覚していたコウはこの世界の経験も長く、一目見て客の混乱を悟ったという。
「だってびっくりするでしょ? 男同士で堂々と手とか握ってるんだよ!?」
「ふふ。カルチャーショックだった?」
「うん…。後ろから頭殴られたくらい衝撃的だった。自分以外にもいるんだなって思ったよ」
同性に恋をしても許される場所がある。ここでは己を解放出来る。ships はたちまち安里の楽園となった。
パーティに参加することは疎か、自分以外の同性愛者を見ることも、話すことも初めて尽くしだった安里は驚きと発見の連続で毎日を紡ぎ、海綿が水を吸収してゆくように日々知識と経験を蓄積していった。まるで憑き物が取れたように、或いは免罪符を手に入れたように、外界との間に築いていた固い殻を少しずつ壊し、己のアイデンティティを解放してゆくのをすぐ傍で見守りながら、微笑ましさにコウは目を細めずにはいられなかった。
また、週に1、2度のペースで店に来るようになった安里を、同じように見守っていたのが ships オーナーの梶原だった。
黒く堅めの髪を短く切り揃え、口の周りに髭を蓄えている。日焼けした肌に白い歯が眩しい、一見するととても夜の世界には向かなそうな風貌だったけれど、その人柄に惹かれやって来る客は多い。逞しい腕で振るシェーカーは豪快で、けれどグラスに注がれたカクテルの味は繊細で、そのギャップが彼を一層魅力的に見せていた。
決して口数が多い人ではないけれど。ぶっきらぼうだからこそ、なんだかあたたかい。
安里はコウだけでなく梶原にも懐き、またふたりも安里を気に入っていた。ちょくちょく顔を見せては次第に常連客達ともうち解け、楽しそうに話しているの安里が些細なキッカケから店を手伝うようになったのは、滅多なことでは公に求人が出ないこの業界において極自然な流れだった。
スタッフはその店の常連がなることが多い。
ちょっとしたことから始まって、ヘルプで手伝い、臨時がやがて定期的なシフトに移るのだ。人間同士の繋がりが密で、逆に言えば狭い世界、情報が筒抜けであるがゆえのお約束。安里もまたそんな流れに身を任せるうち、本業である大学は二の次にアルバイトに没頭していた。
「アサト目当てのお客さんも出来たしね」
来るたびアサトはアサトはって呼びやがって、アサトはアタシのなんだからねって思ったわよ、と唇を尖らすコウに吹き出す。お人好しで世話好きな先輩は何かというと自分を心配し、口やかましくアドバイスしてくれたことを思い出した。
「コウちゃん凄かったよね。あの人には気を付けなさいとか、この人には引っ掛かるなとか」
「だってアサト、誰にでもニコニコするんだもん」
「それが商売でしょ!?」
指さし笑う。まったくこの気のいい人は少しだけベクトルがおかしいのだから。
「……そういえば、最後にアドバイスしてから結構経つのねぇ」
ポツリ。
自分用に作ったジンソーダを一口飲み下し、コウは遠くを見るように目を細めた。それが即ちアサトの過去も、癒えたであろう傷も暴いてしまうことを承知で。
「うん…」
あっと言う間に過去に引き戻されながら、安里も同じように声音を落とす。
ようやく自分のいるべき世界を手に入れた矢先、それは起きた。
連れ去られた心がバラバラになるまで藻掻き苦しみ、自我の境界線まで失うほどの慟哭を味わい、身も心も焼き尽くされた。あの時自分は一度死んだのだとさえ思う。コウの支えがなかったら、梶原の励ましがなかったら、きっと自分はこの世に存在し続けてはいなかった。
「そう、だったね……」
飲みかけのマティーニを煽り、アルコールで喉を焼く。
空になったグラスの細い足、このカクテルが好きだったあの人を思い出した。
「そんなこともあったよね───……」
ships #10 に続く
ships あらすじ
about story:
「もう恋なんてしない───」
過去の苦い思い出から己を押し込め生きているゲイの安里。
クールで無愛想な幹部候補生の水瀬と最悪な初対面を果たし、
毛嫌いしていたが、偶然にも一緒に仕事をすることに。
プロジェクトを進めてゆく中で少しずつお互いを知り、
トラブルを乗り越えながらゆっくり信頼関係を築いてゆく。
胸に芽生えた感情、これは友情なのか、それとも───。
恋に疲れたゲイと、恋に興味のないエリートの紆余曲折物語。
新宿2丁目のバーやゲイスタッフ、ホストなどの
癖のあるキャラクターがスパイスとして脇を固めます。
about main characters:
■安里 和樹 kazuki asato
25歳。広告制作 RSC企画の法務部所属。
己を押し込め、ゲイであることを隠して生きている。
かつてはバー ships にバイトとして働いていた。
■水瀬 悠人 yuto minase
30歳。広告制作 RSC企画の戦略マネジメント開発部所属。
幹部候補生として新プロジェクトのリーダーを任され、
安里と仕事をすることになる。
■佐井 幸助 kosuke sai
27歳。ships で働いているゲイ。
安里のバイト時代の仲間で、お兄さん的存在。
仕事名は本名より「コウ」。お人好しで世話好き。
ships#01 に続く
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