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 2007年07月 

ships #13 

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 まったく今日という今日は勘弁ならん。
 怒りで両肩をいからせながら、歩幅も大きく安里は居室を後にした。
 腹の虫が居所を悪くしたのは連日残業のせいではなく、単に余所の部署のどうしようもない課長が例によって例の如く無茶難題を押し付けてきて、その上明後日までに結果を欲しいと宣ったせいだ。以前も同じような遣り取りをして、その時はこっちのトップが直々にそのような依頼は請け兼ねると言い渡したにも関わらず、ほとぼりが冷めたと見るや担当レベルの安里に上からの立場で物を言う。
「もー、あんな課長なんてさっさと辞めりゃいいのにさっ」
 思わず愚痴も出るというものだ。
 エレベータから広いエントランスを抜ける間、周囲には少しの人もガードマンもいたが構うものか。どうせこんな深夜近い時間、残っている者など誰だって鬱憤を抱えているに決まっている。
 カツカツと靴音も荒く自動ドア前まで来た時、不意に呼び止める者があった。
「随分ご立腹だな」
 声を掛けられるなど夢にも思っていなかったため、一瞬件の課長かと息を飲む。だが見上げればそこにいたのはまた別の意味で驚くべき相手だった。
「み、み、み、水瀬さん!?」
「……そんなに驚かなくてもいいと思うが」
「すいません。その、ちょっと、びっくりして……」
 しどろもどろになりながら携えていた鞄を持ち直す。格好悪いところを見られたものだとガッカリする一方、自分はいつからこの人の前で取り繕おうとしていたのかと冷静なもうひとりが問い掛けた。
「それより、あの……今帰りですか?」
「あぁ。今日は案外片付くのが早かった」
 だとすれば、いつもはもっと遅いのか……。
 水瀬と向き合う視線の先、壁に掛けられた時計はとうに23時を過ぎている。
「じゃあ、駅まで一緒に歩きませんか」
 言った途端、安里は我に返って驚愕した。
 自分の発した言葉に驚くというのも実に間抜けな話だが、これまでの距離感を一気に飛躍する誘いに水瀬が体よく辞退するだろうことは想像が付いて、更に断られた後の情けない自分がなんだか堪らなかったのだ。
 けれど、プロジェクトリーダーの顔を見て、安里は何度も瞬きせざるを得なかった。
「……水瀬さん?」
 面食らったまま唇を引き結ぶその反応を、最初は口も利けないほどの拒絶かと思ったがそうではないらしい。むしろ思い掛けない内容に処理が追い付かないとでも言いたげに硬直するのを見、素直に可愛らしいと思った。
「いや、何でもない。行こうか」
 覚悟を決めたのか、くるりと踵を返し歩き出すのを追って、安里もまた横に並ぶ。こうしてみると10cmはあろうかという身長差が一層際立った。
 社員証のIDを照合させ、エントランスを抜ける。温い風が頬をさすってゆくのを感じながら、いつもは帰って寝ることだけを考えている道を、今日はもうひとりの存在を感じながらゆっくり歩いた。
「……そういえば、」
 思い立ったように水瀬が口を開く。
「さっき何か怒っていなかったか」
「あー……。えーと、ハイ、まぁ。でも別に大したことじゃないんです」
 訳を話せば理解してくれるであろうことは分かっていたが、駅までのほんの10分間、つまらない話で埋めてしまうのはどうしてももったいなくて、安里は代わりに話題を振った。
「それより、プロジェクトもだいぶ軌道に乗ってきましたね。このまま順調にいけばコンペ前にプレも出来そうじゃないですか?」
「あぁ、予想以上に早いペースで進んでる。各所通常業務を遣り繰りしてくれているお陰だな」
 横から見上げる表情はいつもの眼鏡越しではなく、彼がそっと目を細めたのがよく分かった。
 こんな柔らかな表情も出来るんだ……。
 じっと視線を送っているわけにもいかず、名残惜しい思いを抱えながらそっと上を向く。上弦の月が仄かに雲間から覗いていた。
「……それにしても凄いですよね。今更ですけど、こんな大きな仕事」
「ウチの会社で受けるには過去最高かも知れないと常務が言っていたな」
「どうりでチェックの厳しさが尋常じゃないと思いました。……って、それを毎日報告している水瀬さんはもっと大変なんでしょうけど……」
「まぁ、司令塔だからな」
 向き直らなくても雰囲気で分かる。彼は今きっと口端を持ち上げて少し笑ったのだろう、纏う空気が柔らかさを増した。
「このプロジェクトは他のものとは扱いが違う。その分皆にはしんどい思いをさせて申し訳ないが……どうしても成功させたいんだ」
「水瀬さん……」
「今進めている内容なら、きっと東京都が今後環境活動を展開する上で本当に有益なものが出来る。それは未来に引き継ぐ大きな財産になると、俺は信じている」
 日本の首都として、経済拠点として、世界のキャピタルシティのひとつとして。
「……本当は会社の利益を第一に考えるべきなんだろうが」
 眉を下げ、苦笑を漏らし。
「そんな風に夢を見ながら仕事をするのも悪くないだろう」
 ───あぁ、神様。
 淡々と、けれど熱い想いを内に秘めて語る人と共に仕事が出来る幸せを感謝します。
「えぇ。……えぇ、本当に」
 冷酷で排他的だと評される水瀬がどんなにこのプロジェクトに賭けているかを知り、安里は不覚にも涙を滲ませた。それを隣人に悟られないように上を向いて歩きながら誓う。
 精一杯やることを。
 共に夢を見ることを。
 すべてが報われますように。
 地下鉄の入り口で別れた後も、安里はそればかりを祈り続けた。

ships#14 に続く