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 2007年07月 

ships #14 

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 それは唐突な落とし穴。
 多くの計画に障害が付き物であるように、水瀬が推進するプロジェクトもまた、ひょんなことから危機的状況に陥っていた。
 順調だと思われていた進捗は、ひとつの部署の遅れにより芋蔓式に全体に波及する。たったひとつの歯車が狂ったことで次々に階段を転がり落ちてゆく恐怖。担当レベルで救える程度ならまだしも、協力会社数社を巻き込む建て直しに誰もが最悪の結末を思い描いた。
 プレゼンは数日後に迫っている。このままでは間に合わない。
 誰もが焦りに自我を失い、幹部クラスでプレゼン辞退の検討会すら持たれる中、プロジェクトリーダーを任された水瀬だけはひとり静かに手筋を読み続けた。
 一手間違えればすべてが終わる。想像を絶するほどの重圧。
 恐いくらいの迫力に安里でさえ声が掛けられないでいた。ただひたすら不安要素を取り除くべく奔走し、根拠のない噂をひとつひとつ沈静化することぐらいしか今の自分に出来ることはなく、改めて己の無力さを痛感するばかりで。
 それでも、心に決めたこと。プロジェクトの成功。
 あの日水瀬から聞いた、この計画に込めた想いを昇華させるために、自分はとにかく冷静にあれと念じ続けた。
 事態の急変は混乱を招き、混乱は憶測を生む。憶測は不安に変わり、不安は恐怖にすり替えられる。強靱な精神力で押し込めている蓋も開かない保証などどこにもないのだ。
 現に、プロジェクト全体を支えていた支柱が、かつてないプレッシャーに少しずつ歪んでいることを誰も気付かない。目に見えないところから刃こぼれするように、ゆっくりと、だが確実に蝕まれてゆく水瀬の精神は、リミットと読んでいた午後20時の時点で堪え切れずにヒビが入った。

 もう、間に合わない───。

 全員がガックリと肩を落としたその時、扉の向こうが騒がしくなる。バタバタと誰かが駆けてくる音。
「水瀬さん、あれ……」
「まさか……」
 言葉に出来ずただ椅子から立ち上がった。大きな音と共に開かれた会議室のドアが向こう、ふたりのメンバーが肩で息をしながら両手に版下を携えていた。
「遅くなりました!」
「……間に、合った……?」
 色校直前でマシントラブルが発生したと何度も詫びながら、下請け業者から持ち込まれたデザインを会議室中央の大テーブル一面に広げる。このプロジェクトのプレゼンテーションで使用する資料一式が奇跡的に上がった瞬間だった。 
「まずは点数確認してください。パターンと、モデルと……特色の発色は素材別見本があるはずです。工房で至急模型に起こしてもらって。それから引き取り時間確認してください。───すべて明後日の朝までに」
 上がりをザッと見渡すなり水瀬は受領処理をするよう経理に連絡し、続いて各担当に指示を飛ばした。もう駄目かと思っていた矢先、見えた一縷の望みに一同は一斉に動き出す。バタバタと工房に走って行くプロダクト制作部の主任を見送りながらも、安里は妙な胸騒ぎに居ても立ってもいられなかった。
「……水瀬さん」
「プレゼンメンバーはゲラを見ながら戦略を考えます。別室へ」
「水瀬さん、待ってください!」
 傍らの安里などまるで目に入らないかのように、半ば鬼気迫る勢いで采配を振るっていた司令塔だが、度重なる呼び掛けにようやくのことで顔を向けた。けれどその目は安里を見てはおらず、既にプレゼンにのみ焦点が合わせられている。一足飛びに現実を飛び越える相手への進言に一瞬言葉を詰まらせつつ、顎を引き、静かに告げた。
「まだ社内手続きが終わっていません」
「おい、安里……」
 背後から顔見知りのメンバーが止める。この機に水を差してはとの気遣いに、胸騒ぎは一層激しさを増してゆく。
「まだ関係部署が内容を確認していません。これを受理するわけにはいきません」
 本来、外注から上がってきたものはすべて受け入れ段階で企画や戦略、法務が確認し、合意の元受領手続きを行うのがルールだった。
 受理するということは、受注した内容すべてにおいて発注時の要求が反映されており、問題ないと認めたと等しい。逆に一旦受理してしまえば、その後何か問題があっても責任はすべてRSC企画のものとなり、下請け業者を追求することは出来なくなる。問題を水際で防ぐ意味合いから必ず実施しなければならない規則だったが、それに少なくとも丸一日要することもまた事実だった。
「何言ってんだよ安里。プレゼン明後日なんだぞ」
 割って入るメンバーの声がキンと尖る。
「それにここなら付き合い長いし、今まで特に問題になったこともないだろ」
「でも、水瀬さん……」
 声の主を押し遣り、判断を仰ぐようにプロマネを見上げる。言葉では説明出来ないこのモヤモヤした感覚が気掛かりで、安里はせめて1日の猶予が欲しいと訴えた。
 ──けれど。
「今は時間がない。イレギュラーな処理として認識してくれ」
 淡々と言い渡され、一瞬の間をおいて周囲は先程の喧噪に戻ってゆく。
 呆然としたままの安里は僅かな不安や苛立ちをどうすることも出来ないまま、その光景を見守っていた。

ships#15 に続く