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 2007年07月 

ships #15 

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 皆が一斉に各自の仕事に没頭し出してからも、安里は不安が消せないままでいた。
 上がってきたデザインに不満があるわけではない。時間的な制約を考えれば、今すぐ指示を出さなければならないというのも分かる。恐らくこの胸騒ぎはルール的なものではないのだ。経験という枠を越えた自分の第六感が、ここは敢えて踏み止まらなければならない分岐点なのだと告げている。それは脳裏を掠める朧気な記憶が裏打ちしていた。
 過去に商標を調べている時に、今回提示された図版と似たようなものを見た気がする。もしかしたら自分の勘違いかも知れないし、よく見ればまったくの別物かも知れないけれど、もし、もしも酷似していたとしたら、仲間が走り出したレールの先には奈落の底にしか有り得ない。
 キュッと唇を噛む。握り締めた掌、じっとりと汗が滲んだ。
 調べるしかない。
 商標の数などそれこそ無数といっても過言ではないけれど、そして本来そのような調査は受領前に行うべきことだけれど、状況的にそれが許されないのであれば、今自分に出来ることはギリギリまで諦めないこと、ただ、それだけ───。
 刻々と過ぎてゆく時間の1分さえも惜しむように、安里はただひたすらにモニタ画面を睨み続けた。



「…………これだ……」
 結局家に帰れないまま一夜が明けた翌日。
 まだ誰も出社していない閑散としたオフィスで、呆然と口元に手を当てる姿があった。釘付けになった視線の先、発光するディスプレイには今回のデザインによく似た登録商標が映し出されている。──版権違反だった。
「なんてこと……」
 全身から一気に血の気が下がるのが分かった。指先が瞬く間に冷たくなってゆく。堪えようとしても堪え切れない震えが背筋を駆け上がり、受け止め難い現実に目を閉じるしかなかった。
 犯してはならない最悪のタブー。
 コンペ落選どころか、二度と仕事がもらえなくなる最大の危機。
 瞼を開くことも出来ないまま、落ち着け、落ち着けとただひたすら己に言い続けた。明日の午後にはプレゼンが迫っている。今日中にすべての出し直しが出来なければこれまでの苦労はすべて泡沫と消えるのだ。安里、落ち着け。落ち着いて最善の解決策を探せ。諦めるのではなく打開策を。必ずある。どこかにある。見付けにくいだけで、出口はいつも必ず存在している。
「───よし」
 顔を洗うために席を立つ。既に気温急上昇中のビルは蒸し暑く、水道管の水も温い。けれど緊張で気が立っている安里にとって、それさえも構う余裕はなかった。
 そのまま階段で階下へ降り、早々に出社しているであろう司令塔の席へ向かう。案の定、戦略マネジメント開発部の扉を開けると、そこには既に書類に目を通している水瀬の姿があった。
「水瀬さん」
「……あぁ、早いな」
 声を掛けると目を上げ、首を傾げてみせる。昨夜も遅くまで作戦を練っていたであろうこの人に、これからそれがすべて崩壊するような内容を伝えるのかと思うと胸が痛んだ。
「落ち着いて聞いてください。……デザインを、すべて差し替えなければならなくなりました」
「どういうことだ」
 透明なガラスの向こう、焦げ茶の瞳が眇められる。
「これを……」
 正視に耐えられず、襟元に視線を逃がしながら安里は携えてきた出力一式を手渡した。先程の版権元の資料に目を落とすなり、水瀬の表情がガラリと変わる。奥歯を噛み締めた拍子に輪郭が少し揺らいだ。それは彼が初めて見せる狼狽の表情だった。
「3年前に既に登録されているものです。詳細を見ましたが、現状回避出来そうにありません。……明らかな侵害です」
 一気に畳み掛けると水瀬が片手で目を覆う。小さな声で、そうか、と呟いた。
「今すぐ手を打ちましょう。水瀬さんは幹部報告をお願いします。俺は、メンバーを集めて何とかします」
「……分かった」
 毅然とした声に後押しされるように、水瀬は俯いていた顔を上げる。そこにはもう動揺の色はなく、様々な修羅場を潜ってきた戦歴を滲ませていた。
「どこまで影響が出るかまず見てくれ。出来たら模型の類は最小限の変更に押さえたい」
 司令塔は手元の資料を素早くまとめつつ、スーツの上着を羽織り戦闘態勢に入ってゆく。
「大版出力押さえといてくれ。最悪2台とも使って出し直す」
「了解しました。企画に繋いでおきます」
 バタバタと廊下を闊歩しながらふたりは同時に2台のエレベータのボタンを押した。水瀬は階上へ、報告のために。安里は階下へ、メンバー招集のために。それぞれ二手に分かれる相手を見返し、無言のまま目だけで語る。

 非常事態だからこそ見えてくるものがあるのだとしたら、それはきっと、この勝負に賭ける想いだけ。

 先に到着した上行きのエレベータに乗り込みながら、背中越しに水瀬が語る。
「………すまない。後は頼む」
 本当はすべてを自分で統率したいだろうに、立場上それが出来ない彼だからこそ、不在中の混乱を最小限に押さえ、かつ明日に繋ぐ役割を任されたことを誇りに思う。
 安里は静かに背中に応えた。
「分かりました」
 閉まる扉の向こう、水瀬がひとつ頷いた気がした。

ships#16 に続く