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 2007年08月 

ships #18 

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 まさか泣かせるとは思わなかった───。

 夜。
 自室のソファに身を預け、水瀬はもう何度目かも分からない逡巡を繰り返していた。
 責任を取って辞めるという自分を、彼は追い掛けて来てくれた。必死に言葉を尽くしてくれた。恥も外聞も打ち捨てて、懸命に説得してくれた。そんな存在がいることすら、自分は気付いていなかった。
 頬に伝った雫の重みに胸が痛む。
 これまで自責の念に苦しむ幹部のそれを目にしたことはあっても、他人のため、ましてや自分のために誰かが涙を流すことなど見たことがなかった。
 苦しめてしまっただろうか。
 悲しませてしまっただろうか。
 怒りと悔しさを綯い交ぜにした安里の顔を思い出し、水瀬はそっと目を閉じる。手にしていたブランデーグラスを煽り、氷だけが唇を覆うことに、いつの間にか飲み干していたことに気が付いた。
 クラリ、と視界が揺れる。
 こんなことを考えるのはアルコールのせいだと責任転嫁をしていないと、意識の先にあるものに恐くて手を伸ばせない。透き通った彼の涙ごと、この腕に抱き留めてしまえたらとそればかりを思い続ける一方、同性である安里に対して抱いている感情がひどく歪んだものに思えて目を逸らしたくなる。
 まさか───。
「そんなはずはない」
 言い聞かせるように独白する。シンとしたフローリングに響いた声は、行き場のないまま床に落ちた。
 そんなはずはない。自分が同性に好意を持つなど。
「だが、それなら理由を……」
 もうひとりの自分が問い掛ける。
 そんなはずがないのなら、彼をプロジェクトメンバーに推した理由をどう説明すればいい。
 初対面からずっと、顔を合わせるたび排他的な眼差しで睨み返していた相手を、裏から手を回してまで半ば強引に獲得した訳。
「……っ」
 水瀬自身でさえ気付かなかった本当の理由は、けれど突き当たってしまえばひどく単純で明快だった。理性が彼を遠ざけるほど感情が追い付かず苦しんでいたのは、いつの間にか胸の奥に巣食った火種のせい。燻る炎が日々激しさを増していることを、水瀬は長い間気付かずに……或いは目を向けずにいた。
 カラン。
 手の中のグラスを傾け、ガラスを滑る氷の音に耳を傾ける。まるで運命に翻弄される蜻蛉のように宛てどなくくるくると回り続けるそれに自らを重ね、途方もないこの道の果てをぼんやりと描いた。

 君なら出来ると思った。君でよかった。

 感情とはなんだ。何故彼を選んだ。何故彼なら出来ると見込み、彼でよかったと思った。彼が笑うと嬉しくて、彼が泣くと苦しくなる。泣きやませたくて、安心させたくて、手を伸ばしたくて、それが出来ない。このすべてが指すものから自分は結論を導けない。
 混乱を振り切るように水瀬は髪を梳き上げる。ハラハラと零れ落ちる毛束が眼鏡の奥の表情を隠した。
「疲れているんだ」
 そう、思うことで。
「混同しているだけだ」
 そう、思い込むことで。
 ようやく自我を保とうとするそれを逃避と呼ぶならば、抱え切れないほどのこの感情を持て余す羊にもはや行く宛など残されていないのに。
 無理矢理己を納得させて倒れるように眠りに就く。
 月だけがこれからの行方を見守っていた。

ships#19 に続く