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 2007年09月 

guys #06 

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 季節は少しずつ春の名残を惜しんでいた。
 桜の枝々は散った花びらの萼を色濃く掲げ、その次に芽吹く新緑の幼葉を覗かせる。蘇芳のウテナに架かる冠のようなそれは、柔らかな甘雨の恵みを受けて日一日と逞しく空に手を伸ばしていった。
 教室の窓越し、アルミフレームで四角く区切られた空はどこまでも澄んで、まるで自分の悩みなどちっぽけな塵に過ぎないと言っているよう。それでも胸に蟠る思いは少年にとって切実であることに変わりなく、珍しく授業も上の空で溜息を吐くのには理由があった。

 屋上での一件以来、雪之に避けられるようになった。

 律誠が話し掛けるたび迷惑そうに踵を返す様は誰の目からも明らかで、それまで接点のなかったふたりの間に何かあったのではと勘繰る声が出始める。無論、委員長の手前あからさまに詮索する者はなかったが、それでも気分のいいものではない。ましてや良い方向に動いているのならともかく、自分達の場合は人間関係どころか個人としての認知さえ成立するのにどれほどの時間を要するのか、その見当すらつかない状態での無責任な波風は徒に不安を煽るだけのものだった。
 彼を知りたいと思った。そして分かりたいと思った。
 だが、そんな願いは思い掛けず実現することとなる───傷害事件という最悪の形で。
「有沢……!」
 まるで悪夢のようなスローモーション。
 授業中、突然椅子を引く音に驚いて振り返ると、雪之が後ろの席の男子生徒に拳を振り上げるのが見えた。あまりのことに声も出ない。教師さえも目を疑った。激しく転倒する被害者の映像がコマ送りのように映り、床に打ち付けられた椅子の衝突音で我に返った時にはもう、雪之が馬乗りになって相手に殴り掛かろうとしていた。
「有沢! 止めろ!」
 近くの生徒が慌てて押さえに掛かる。無理矢理引き剥がされ、床に押し当てられた口元からはしきりに離せという声が漏れていたが、突然の惨事に興奮状態のクラスメイト達によって小さな音は掻き消された。
「授業中だぞ有沢! 慎みなさい」
 後ろから羽交い締めにされたままノロノロと起き上がった問題児に対し、古典教師が厳しい口調で注意する。
「まず、彼に謝りなさい。それから騒ぎを起こして迷惑を掛けたクラスメイトに」
 口元を押さえた被害者の生徒を指し促すが、雪之はまったく聞き入れようとせず教師を睨み返した。
「理由は何だ。なんでこんなことをした」
 一触即発の緊迫した空気。ピリピリと痛い緊張感に喉が鳴ってもなお動こうとしない当事者に代わり、口を開いたのは殴られた少年だった。
「噂です。……最近こいつ委員長と何かあったみたいで、お互い妙に意識してんじゃないかって話し掛けたら、イキナリ……」
 タイムリーな話題にクラス中がザワめき立つ。俄に騒がしくなった教室の中、全員の関心が委員長である律誠に集まるとともに、無責任にも事態の収拾までをも強要した。矢のような視線が降り注ぐ中、律誠は静かに椅子を引き、立ち上がる。
「……お騒がせをして申し訳ありません」
 そうして担当教諭、クラス全員に向かって二度頭を下げた。追随を許さぬ凛とした声に一同は音もなくすべての所作を見守るばかりで。
「個人的なことを授業に持ち込むのはやめましょう」
 チラリと少年を見、クラスメイトを見渡し釘を刺す。これを言い訳とするのか、それとも意に反したことだと覆せばいいのか、今の律誠には整理することが出来ない。俯いたままの雪之の表情が気掛かりで、そればかりが心を重くさせた。
 再度深々と頭を下げた委員長に免じてその場は収まり、ぎこちなく授業は再開したが、一層輪郭を浮き出させたふたりについて周囲の関心が薄れるわけなどなく。

 楔を抜かれた歯車がゆっくりと動き始める。
 その先にあるものなど予想だにさせず───。

guys #07 に続く

guys #05 

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 息を詰めて見つめ続ける。穏やかな日差しの中、緊迫した空気がひどく不似合いだと思った。

 俺に構うな───

 二の句を告がせぬダメ押しに律誠はぐっと言葉を呑む。それきり、訪問者など最初からいなかったかのように固く瞼を閉じたままの雪之を見下ろし、そろそろと息を吸い込んだ。
 その目をもう一度見たいと言ったら、彼は何と言うだろうか───。
 緊張を強いられながらも冷静なもうひとりの自分が今の状況を俯瞰する。余裕などあるわけがないのに、常に全体を把握するよう己の感情を一歩引いて分析することがもはや習慣になっている委員長にとって、相対する衝動が己の中で両立していることに戸惑いさえ覚えた。
 あぁ、まるで手に負えない初めての感覚。
 穏やかに擦り抜けてゆく春風に髪を遊ばせながら、そっと笑みを浮かべる。整理し難い感情は、取り付く島のないトラブルメーカー同様、律誠の心を揺さぶるのに充分だった。
「……いつ、戻るんだ」
 だからそっと声を掛ける。彼のガードがこれ以上堅くならないように。
「なぁ、有沢……」
 けれど、続けるはずの問いは突風によって遮られた。
 ザッと音を立てて巻き上がった風に乗り、地上十数メートルの屋上にまで届けられた花びら。粉雪のようにひらひらと舞い落ちる様子にしばし見とれる。それにいつから気付いていたのか、くすりという笑い声に目を向けると口端を上げる雪之の姿があった。
 闇の色を映した瞳に掛かる二重瞼。目が悪いのか、伸びた前髪の間から睨み付けるような視線を寄越す。うざったそうに髪を掻き上げるたび、黒絹のような細いそれがサラサラと指の間から零れ落ちるのが印象的だった。
「……おめでたいヤツだな」
 冷たくはない、けれど暖かさのない声。
「俺、あんたの名前だって知らないんだぜ。いちいちそんなヤツの言うこと聞くバカはいねぇだろ」
 だからもうどっか行ってくれ。
 面倒そうに眉を潜める姿に心がささくれ立ち、律誠は咄嗟に手を突いた。
「知らないなら、知ってくれればいい。───俺は片岡だ」
 普段は凛と通るアルトは今、軽い焦燥感と怒りで深いテナーへと彩りを変える。言い含めるように真正面から向き合う律誠に対し、雪之は不快感を隠そうともせず眉を寄せて見せた。
「……バッカじゃねぇの」
 ポツリと呟いたのを最後に目を閉じる。これ以上話すことは何もないと背を向けるのを見、訪問者は初回の謁見の終わりを悟った。
 立ち上がったと同時に響く、昼休みを告げる鐘の音。
 それを合図に階段へと踵を返しながら、律誠は今し方の対話について強く気を引かれた事柄を反芻していた。
 自らのテリトリーを犯す侵入者の存在を頑なに拒む、まるで野生の獣のような敏感さ。それを露わにされるほど、ラインを踏み越えてしまいたいという欲求が律誠を襲う。
 あまりに予想だにしなかった衝動に目を瞑り、何度か頭を振ってその考えを振り払うと、委員長はもと来た廊下を足早に歩き出した。

guys #06 に続く

guys #04 

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 新学期の慌ただしさが一段落し、本格的に授業が始まるようになると、雪之の素行はかなり注目を集めるようになっていた。生活が落ち着いてしまえば目新しいものを求めがちな人間、それもまだ高校生である彼らにとって異分子は格好の獲物と言っても過言ではない。あることないこと噂はあっと言う間に広がり、雪之をよく知らない人間でさえ第三者に作られたイメージで彼を判断するようになっていた。
 それがどうしても納得出来ない人物がひとり、移動教室前のザワ付いた教室で時計を睨んでいる。律誠である。
 今日も教室に顔を出すなりフラリとどこかに行ってしまった雪之を探しに学校中を走り回るのは、残り5分のタイムリミットはあまりに短い。どうしたものかと逡巡していた視線の先、知らず彼の机を見ていたことに気付いたクラスメイトが肩を叩いた。
「よ、律誠。どうかした? 有沢のこと?」
「……あ、あぁ。探しに行きたいが居場所の検討が付かなくてな……」
 口元に手を当てる委員長を覗き込むように、級友は人差し指を立ててみせる。
「それなら屋上じゃん? 朝のホームルーム終わってすぐ、屋上階段上ってくの見たし」
「サンキュ。助かる」
 情報を得るや否や、手荷物をまとめて飛び出して行こうとするのにクラスメイトが慌てるのも二の次に。
「オイ、委員長。次の号令どうすんだよ」
「悪い。頼む」
「あぁ!?」
 背後で明らかに動揺していた声もこの際聞かなかったことにして、入り口付近でごった返す生徒達の群を掻き分ける。廊下の端、屋上へと続く暗い階段を駆け上がりながら、ひんやりとした空気が普段と違う場所へ向かう高揚感を煽っていった。
 けれど軋む扉を開けると一転して強烈な光が訪問者を襲う。あまりの開放的な空気にここが学校であることも忘れ、律誠はしばし呆然とその場に立ち尽くした。
 空の青。吸い込まれそうな色。
 毎日見ているはずなのに、地上何階分か高いだけでこんなにも自由に感じる。これが見たくて足繁く通ってしまうのだとしたら彼の気持ちも分からないでもないな、と独白しつつ、ぐるりと屋上を回遊したその時、貯水タンクの裏から僅かに見慣れた上履きの先が覗いていることに気が付いた。
 上手いこと直射日光を避けつつ日陰に寝転ぶその様は実に気持ちよさそうで、時折サワサワと頬を撫でる風が柔らかそうな前髪をも気紛れに揺らしている。教室で見た時よりだいぶ明るく見える漆黒の髪は、陽を浴びてキラキラと光っていた。
 眠ってしまっているのか、傍らに膝を突いてもなお目を閉じたままの雪之にどう声を掛けたものか迷っていると、そんな訪問者の考えなど見透かすかのようにゆっくりと漆黒の瞳が開く。ふるりと震えながら睫毛が持ち上がる様はまるで蝶の羽化のよう。初めて間近で見るそれはとても美しく、吸い込まれそうだと思った。
 音もなく、言葉もなく。
 ただ見つめ合ったふたりの間を裂いたのは無情にも彼の拒絶だった。
「邪魔しに来たんなら帰れ」
 低い声音。野生の獣のように自らのテリトリーを犯す者を許さない、有無を言わさぬ威圧感に気圧される。何事か返そうと開き掛けた口はけれど、その役割を果たすことはなかった。
「……俺に構うな」
 睨み返された眼差しの冷たさに息を飲むまま、閉じられた瞼を見守ることしか出来ないでいる。
 それでも放ってなどおけなかった。
 委員長としての仕事と整理された行動が、実は深いところで別の理由をも孕んでいたとしても、今の律誠には知る由もない。ただ純粋に彼を知りたいと思い、彼を分かりたいと思った。そしてそれは深入りを拒否された今でもなお変わることはない。
 手探りの感情だけがこれからのふたりを導いていた。

guys #05 に続く