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 2007年09月 

ships #32(完結) 

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 慌ただしく水瀬が異動してから1ヶ月。
 季節は少しずつ秋の彩りに染まっていた。うだるような暑さはいつの間にかひんやりとした風に変わり、姦しい蝉の鳴き声は鈴虫の羽音にバトンを託す。目まぐるしく移りゆく日々の中でその人だけがいないことに、ふと気付いては空を見上げ、そっと目を細め。共に戦場を駆け抜けた仲間に対する喪失感は、こんな少しの時間では埋められようもなかった。
 けれど、この距離は無駄ではない。
 自分達の手によって下した決断ではなかったけれど、それ以外に取るべき道はなかったけれど、結果的に彼の転勤が決定打となり、胸に秘めた想いを言葉にすることが出来た。臆することも怖がることもなく、互いの手を取ることが出来た。だからこの距離は遠くはない。心はいつも繋がっているから。
 ガタンゴトン。
 疎らな車内に響く枕木。
 落ち着いた頃を待って司令塔の元を訪れる安里を乗せた電車がまたゆっくりと動き出した。心臓の鼓動のように規則正しく繰り返す優しい音に身を預けながら、安里は車窓に目を向ける。音楽を聴きながら、彼を想いながら、少しずつ近付いて行ける幸せ。片道3時間は勿体なくて眠ることなど出来なかった。
 甦る、あの濃密な時間。
 最悪な初対面、目の敵にされた2度目の出会い。幹部候補生の敏腕振りに驚き、仕事規模の大きさに怯み、徐々に知る彼の内面に翻弄された。完成間近でプロジェクトが危機に晒され、寝ずに最後の足掻きをやり遂げ、大きな成果を喜び合った。辞めると言った彼を叱り、共に夢見ることを望み、ありのままの自分を語った。思い出してはニヤけ、嬉しくて少し泣ける。出逢えてよかったと心から思えた。
 窓の外、景色が一面の稲穂に変わる頃、電車は小さな駅に滑り込む。
 風の匂いに君を知った。



 ダウンライトが穏やかに灯る室内。
 招かれた水瀬のマンションはまるで雑誌の1ページを見るようだった。聞けばデザイナーズハウスなのだと言う。広いエントランスから風が抜け、高い天井から光が注ぐこの造りは、突然の転勤で得た素晴らしいサプライズだと司令塔は眉を下げて笑った。
 ゆったりとしたソファに凭れ、ワイングラスを片手に月を見る。薄いカーテンを潜って届く柔らかな光の色は、あの日ふたりが想いを告げた夜に似ていた。
「……この1ヶ月、どうでした?」
 柔らかにふたりの間を流れるノクターン。そっと肘掛けから身を起こし。
「君のことばかり考えていた」
 自分と同じ答えに口元を覆う。
「水瀬さん……」
「一緒にいられた頃に何もしなかったなんて、今考えると勿体ないな」
「……は!?」
 とんでもないことをこの人は真顔でサラリと言う。
 だが、安里が怯んだことなどお構いなしに、天下の司令塔はその素晴らしく冴えた頭脳で社長をも動かすと豪語した。
「安里が支社に移るのを待つより、自分が昇進した方が手っ取り早いだろう」
 自分の記憶が確かならば、昇進とはそうポンポンとするものではない。もっと言えば、栄転扱いで支社に移った人間が本社に戻れる可能性などないに等しい。
 眉を寄せて考え込む安里に苦笑した司令塔は、ニンマリと口端を持ち上げて見せた。それは彼が何かを企んでいる時に決まってする表情で、或いは子供の悪巧みにも似ている。策士の呼び名がぴったりだった。
「もう水面下で動いているんですね……」
「よく分かったな」
「その分じゃキーマンにも打診済みで、交換条件の精査中だったりして」
「ご明察」
「……確信犯の称号をあげますよ、まったく……」
 がっくりと肩を落とす傍らで、水瀬のくすくすという笑い声が響く。聞けば、本社に戻ればかつての戦友がいることに加え、また ships に行けるからだと言う。訪れたのは一度きりだったが、安里の古巣であるその場所を水瀬もまた気に入ってくれたらしい。
「水瀬さんのこと、コウちゃんも梶原さんも待ってますよ」
「それは嬉しいな」
 今度はひとりで行っても諸手を挙げて歓迎されるだろうことは容易に想像出来、ふたり揃って吹き出した。コウが頬に手を当ててシナを作っているのが目に浮かぶ。まいったなーと頭を抱える司令塔代理を前に楽しくて仕方ないという風に笑う水瀬は、酒のせいか目が潤んで見えた。
「彼らも、仲間も、勿論嬉しいが……」
 眼鏡越しの目元がやけに色っぽい。流す視線に先程の雰囲気など一転、ドキ、と心臓が跳ねた。
「一番に待っていて欲しい相手がいるんだ」
 手にしていたグラスをそっと奪ってサイドテーブルへ。真剣な眼差しに応じるように安里は真直ぐその目を見返した。
「……分かってます」
 髪を梳く指先に目を細め、そうして最高の笑顔を浮かべ。
「俺がおかえりを言うために待ってますから」
 どれだけ長い時が経っても、変わらずあなたを待ち続けるから。
「だから水瀬さんは、ただいまを言うために帰って来てください」
 ただ、この場所へ。
 近付いた唇が触れる一瞬前、司令塔がくすりと笑った。
「───まるでプロポーズだ」
 そして反論を許さず唇を塞ぐ。力が抜けた身体を抱き留めながら、水瀬は愛しさを込めて掌にキスを落とした。
「必ず、君のところに帰る。約束する」
 たとえこれから先、どんな苦難が待ち構えていても。
「仕方ない。待っててあげますよ」
 互いを求める気持ちは変わらないのだから。
「でもなるべく早くしてくださいね。待ちくたびれないうちに」
「了解した。確信犯の手腕をとくと堪能したまえ」
 くすくす笑って、指を絡めて。ハッピーエンドに目を閉じて。
 そして最高の夢を見よう。
 これまでのように、これからも、ずっと───。

end.

ships あとがき