guys #20
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時刻は既に21時を過ぎていた。
眩しいくらいの街灯を路地に入れば、途端足元さえおぼつかなくなる。閑静な住宅街であるこの辺り一帯は、近隣の新興住宅地や公園を含めてもこの時間に騒がしくなることはまずない。時折会社帰りのサラリーマンが家路を急ぐ他人と擦れ違うこともなく、次第に深くなる闇に溺れるばかり。
シン、と静まり返った道路を、もう何十回、何百回と通い慣れた家に向かう。そこは自宅ではなく、気心の知れた───友情を越えた想いすら内包する幼馴染みの住む場所だった。
「………どうした、遅くに。家に来るのは久しぶりだな」
携帯電話で門の外まで呼び出した相手は、何ら疑うことなく穏やかに声を掛ける。いつもと変わらぬ笑顔で迎えてくれるのが嬉しかった。
「悪ィ、急に。もう飯食った?」
「あぁ。今はクラス展示のスケジュール調整してたんだ」
「あーあー、やっぱ家でも仕事してたか。おまえ少しは息抜きしろって」
「……言われると思った」
肩を竦めて笑うものだから、和哉もつられて苦笑する。
「そういえば文化祭で思い出したけどさ、C組は随分準備進んでるって聞いた」
「お陰様でなんとか、な。いろいろあったけど無事まとまりそうかなって」
「よかったじゃん。さすが委員長様々」
「違うよ。皆が頑張ってくれてるんだ」
それに、と付け加える顔が僅かに柔らかさを帯びたことで、和哉の第六感は警鐘を鳴らす。だが現実は止めようもなかった。
「皆で同じゴールを目指して走るのは、やっぱり気持ちいいよ。誰ひとり欠けることなくそれが出来るのが一番嬉しい」
あぁ、曇りのない真直ぐな笑み。その背景にあるものなど容易に知れる。
雪之が次第にクラスに馴染み始めていることは噂で聞いた。目の前の幼馴染みと急激に親しくなっているらしいとも伝えるそれを、自分は身を切られるような思いで受け止めたのだ。
大切な幼馴染みにとってマイナス因子としか思えない彼。積年の友情さえあっさりと飛び越えられそうで堪らなかった。自分の存在意義が泡沫のように消えてしまいそうで、頭では馬鹿げたことだと分かっていても、気持ちがそれに追い付かなかった。
「………そ、か」
絞り出すように声にしたのは僅かにそれだけ。
先程雪之を見掛けて律誠を思い出し、律誠に会っては雪之を連想する。まるで連鎖反応のように延々と繰り返すメビウスの輪に、辛うじて保っていた和哉の精神はジリジリと音を立てて焼け焦げてゆく。遂に幼馴染みの口から雪之の名が出た途端、幸せそうに笑うのが悔しくて和哉はすべてを放り投げた。
「……さっきも、見たぜ」
「え…?」
聞き返したのは、唐突な態度の変化に戸惑ったからか。
「あいつ……また、ヤバそうなヤツらと連んでた」
「有沢が?」
目が見開かれたのは、信じたくないという意の現れか。
「……どの辺りで見たか、覚えてるか」
「中央町。市役所の向こう」
闇に閃く瞳が色を変えてゆく。
凝視される視線の先、残像すら残らない瞳の奥、それでも懸命に凝らされる目に激しい嫉妬が掻き立てられた。何故こんなにもあの男を気に掛け、そして目の前にいる自分に気付かないのか。どうして与えても何も返さない者を求め、そして与えようとするこの手を振り解くのか。
「律誠」
正面から名を呼ぶ。奥歯がくぐもった音を立てる。
「……和哉悪い。折角来てくれたけど、俺、探しに行って来る」
返された答えは最悪のシナリオへと続いてゆく。
部屋着の格好のまま石段を下り、道路へと駆け出して行く後ろ姿に追い縋ることしか出来なかった。
「オイ、律誠、ちょっと待てよ!」
「ごめん。ありがとう」
「おまえ……なんで……っ」
もはや振り返ろうともせず、小さくなって行く背中。返らない答え。還らない想い。
闇の中、足音だけが遠離って行く。
guys #21 に続く
guys #19
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委員長とトラブルメーカー。
異色の組み合わせとも思えるふたりが急速に接近していることは、その後の態度にも表れていた。
ファーストネームで相手を呼ぶということの威力は予想以上に大きく、相手を強く意識することで、これまで盲目的に張り巡らされていた茨は少しずつ解かれようとしている。一歩一歩はとても小さくても積み重ねることで、やがて穏やかな雰囲気さえ纏うようになり、少しずつ変わり始めた雪之に誰もが蝶の羽化を見守る心境を重ねた。
周囲もまたそれに牽引されるように、あの委員長から信頼されたのならと雪之に目を向けるようになりつつある。お互い信頼し、期待を返すなんて難しいようでいて、本当は極小さなコミュニティでも核となるべき大切なこと。それ実践出来た喜びと自信を共有することで、クラス全体はよりまとまりを見せつつあった。
そんな放課後。
誰もが当然といった風に積極的に展示準備に熱中する中、その輪に雪之がいるということ。
「よかったね、律誠」
そんな様子を傍らで見守っていた有栖が笑う。
「……あぁ」
穏やかに目を細めていた、その時。
「律誠! おまえ暇ならこっち来て手伝えっ」
100枚単位のメッセージカードを延々書き続けていた雪之から強制的なお呼びが掛かる。委員長はこれから全体会の打ち合わせじゃ、と誰もが固唾を呑んで見守る中、一目でそれと分かるほど───友人の言葉を借りればだらしないと形容されるほど満面の笑みを浮かべた律誠はふたつ返事で指名を受けた。
「………やだねぇ、色ボケは……」
これじゃ記事にもなんないじゃん、と愚痴を零しつつ、有栖もまた己の仕事に没頭していった。
そんな風に世界は、平和な日常を刻んでいたのに。
まるで相反する性質を持つ電極のように決して交わらない代わりどこまでも同時進行する現実は、時間をほんの少し変えるだけ、見方をほんのちょっとズラすだけでまったく別の側面を見せた。或いは光の届かない闇の横顔とでも言うべきか。歓迎すべからぬ事実に少年の足はアスファルトに縫い付けられたまま、ぴくりとも動かなかった。
こんな光景を、前にも目にした。
和哉は本能的に気配を殺す。考えるより先に見つかってはならないと身体が判断した。
前方数十メートル先、見知った少年が明らかに柄の悪そうな年上の男達と連れ立って歩いている。見間違えようもない、試合の一件以来目の敵のように思ってきた雪之本人に違いなかった。どことなく緊張感すら漂わせている一行は馴れ合うこともなく、言葉すら交わさずに、ただ足早に暗闇を目指す。これから何をしにどこに向かうのか、具体的な情報は何ひとつ得られないままあの時と同じように後ろ姿を見送りながら、和哉はモヤモヤとした思いばかりを持て余していた。
雪之の素行を告げた時の律誠の顔が今も忘れられない。
深く傷付いたような、信じたくないような、そしてそれが事実だとしても正面から受け止めるべきとの清廉とした覚悟があった。凡そ同じ歳の人間が見せるとは思えないその表情に自分は息を飲み、悔しさすら感じたのだ。
あんなヤツに構うなよ───。
それが精一杯の言葉。不器用なまでの想い。
あぁ、どこまでいってもキリがない。律誠を見てはその視線の先に雪之を見付け、こうして雪之に会えば連鎖的に律誠を思う。それぞれが個体を持った人間でありながら常に表裏一体のようなふたりに苛立ちを覚え、和哉はひとり舌打ちをした。
暗い夜に響く、それは孤独を煽る音。
guys #20 に続く
guys #18
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奇跡は、起きてしまえば案外あっけないものなのかも知れない───。
何気ない日常。何気ない朝。
同じ時間に家を出て、同じ時間のバスに乗って。クラスメイトと挨拶を交わしたり、仲間と冗談を言い合ったり。ショートホームルームまで15分の余裕がそれぞれを穏やかに過ごさせる。あと10分もすれば遅刻との境界線を泳ぐ生徒達の群で廊下はさながら群雄割拠となるだろう。慌ただしさなど微塵も見せない今は嵐の前の静けさに似ていた。
窓際の席、途切れることなく校門を潜って来る生徒達を見るともなしに眺めていた律誠は、ぴょこん、と視界に泳ぐ小動物に途端意識を遮られた。
「おはよ、律誠」
「……あぁ、おはよう。比那」
そういえば昨日はサンキュ。
そう言って付け加えると、瞬きをした彼は、いーよいーよ、と笑った。
雪之を追い掛けてバタバタとしたクラスを放り出した後、有栖がどんな手腕でまとめてくれたかは級友達から伝え聞いていた。パニックが起こった時の人間心理を熟知しているジャーナリスト志望らしい、実にスマートな手際だったという。
「それより大丈夫だった? 殴られたんでしょ?」
まだうっすらと腫れの残る頬を見遣るのに、委員長はやんわりと首を振って答える。
「たまたま手がぶつかっただけだ。それに、もう殆ど痛みもない」
「そっか。ならいいけど……。それより問題は有沢だよね。急に仲良く……とはいかないだろうけど、取り敢えず少しだけで話とか、出来た?」
「あぁ、それなら……」
伏せていた目を上げる。昨日のことをまだ報告していなかったのは、言いたい気持ち半分、勿体ない気持ち半分で、自分自身持て余していたからだ。何故だろう、特別なポジションを獲得した喜びを独り占めしたい想いが強かった。
───と、そこに、意中の人。
「あ、」
相変わらず仏頂面で立ち尽くす雪之は、けれど目が合った途端すべての動きを止めた。全身が緊張で固まっているのが分かる。まるで借りてきた猫のように大人しくなった彼の様子に、まず気付いたのは傍らの有栖だ。明らかに昨日までと違う態度に、何かあったのかと雪之を見、それから顔をぐりんと反転させて律誠を見、そこに答えを発見した。
迎えたるは、満面の笑み。
「おはよう。雪之」
「───っ!」
息を飲んだのはむしろ有栖の方だったのかも知れない。そして静かな教室に凛と響いた声によって一同がギョッと振り返るのが分かった。
当の本人と言えば至って涼しい顔で、にこにこと実に平和そうに笑っているくせに、相反する表情を浮かべたトラブルメーカーはこれまでの鉄面皮も床に叩き付ける勢いで捲し立てた。
「てめ、律誠! デカイ声で呼んでんじゃねーよっ」
「悪い。つい、嬉しくて……」
「余計悪いわっ」
「……そういうおまえも充分大声みたいだが……」
ハッとして振り返れば既にクラス一同が固唾を呑んでこちらを凝視している。目が合うと誰もがそそくさと視線を床に泳がせるというこれ以上ない痴態の晒しっぷりに、これはどんな仕打ちなのかと雪之が肩を落としつつ席に着く中、ようやく我に返った有栖は渦中の人物に突撃レポートを開始した。
「ちょっとちょっとちょっと律誠、なに今の!」
そうやって目を丸くしていると本当に女の子みたいだな。……なんて、本人に言ったらどんな記事がでっち上げられるか恐くて口が裂けても言えないが。
「なんで名前で呼び合っちゃってんの?」
だからここは敢えて、ワケあり顔で。
「うーん。秘密、かなぁ……」
「なにそれ。この前ツッ込んだ時はめちゃめちゃ否定してたくせにー」
そんな疑問もサラリと放り。
「ちなみに名前で呼んでいいのは俺だけだから」
「うっわ。あからさまに独占欲丸出し!」
キーッとハンカチを噛み締める仕草にも負けず、律誠は実に爽やかな笑みで畳み掛けた。
「何とでも言ってくれ」
「さーいーあーくー。ていうか顔ニヤけ過ぎっ」
朝のトップニュースを飾ったこの珍事件により雪之は一躍時の人となり、今まで以上に苦虫を噛み潰す羽目となった。
好奇心の赴くまま想像の翼を広げる者、事件の発端の自覚なくひとり幸せに浸る者。三者三様の様相を呈しつつ、ショートホームルームの鐘が鳴った。
guys #19 に続く