guys #23
←前話へ
雪之の家からの帰り道、初めての景色を眺めながら律誠はこれまでのことを思い返していた。
忙しい両親に代わり子供の頃から弟達の面倒を見ていたこともあってか、もともと人の世話を焼くのは嫌いではない。クラスに馴染めない人見知りとの仲介もそれなりにこなし、またあれこれと構っているうちに懐かれることも少なくなかった。
そんな自分にとって、彼との出会いはまさに青天の霹靂だった。
取り付く島もないほど他人を拒み、慣れることも情を移すこともない。集団を疎み、他に興味を持たず、自らさえも省みない。己の価値を認めようとしない姿勢は見る者に悲しみすら与えた。刹那的な生き方は不安を、自暴自棄の態度は焦りを生むばかりで───けれど同時に気付いてもいた、彼の中の深い孤独。ふと見せる寂し気な表情に胸が痛んだ。
だからこそ、彼の周囲にある目に見えない棘を取り除き、その心に触れ、そして柔らかく包みたいと思った。危なっかしい彼に自分が付いていてやらねばというのではなく、もっと単純に、そして純粋に、彼の傍にいたいと思った。
───だが。
ようやく彼の領域を許され、その隣に立った今、欲深な自分は今度は彼の "たったひとり" になりたいと願っている。どこまでも底のない欲求。この場所に立つことさえかつては夢見た奇跡なのに。
「……そう、か……」
人間の欲は計り知れない。それが我が身に起こるだなんて思いもしなかった。
「俺は、雪之が………」
胸を叩く衝動。繰り返し浮かぶ穏やかな笑み。
友達と言うには近過ぎて。
親友と言うには重過ぎて。
この感情を何と呼ぶのか気付かぬほど鈍感ではない。
手を伸ばすほど遠退いて、焦がれるほど夢に見て。欲しがらなければ失わないのに、それでも求めずにいられない愚かで優しくて愛おしいもの。
「雪之………」
告げたい。君にこの想いを。
正面から向き合う覚悟を決めてくれた、その誠意に報いるためにも、逃げ出したいほどの恐怖と戦ってでも、ありったけのこの気持ちを。
それなら、と律誠は深呼吸をする。
同じ男として対峙するのなら、是が非でもふたりで目の前の壁を乗り越えなくてはならない。クラスが一丸となって、そして雪之が周囲に馴染み、そして自分と意志を通わせるキッカケとなった文化祭、何が何でも成功させなくては。
本番まであと少し、思いをひとつにして創り上げたい。
舞台までもう少し、願いをひとつにして実現させたい。
そして、その暁には───。
未来予想図を描く眼差しの先、一番星が輝いていた。
guys #24 に続く
guys #22
←前話へ
翌日。病欠扱いの雪之を見舞った律誠は、そこで初めて怪我の理由が喧嘩などではないことを告げられた。
初めて訪れる雪之の部屋。
彼らしく余計なものの一切ない、殺風景とさえ思えるモノクロの空間に昨夜の熱も冷めやらぬふたりが向かい合っている。緊張と遠慮の交錯する波が言葉を不自由にさせた。
「"儀式"……?」
「……簡単に言えばな」
ベッドに半身を起こした雪之の身体にはあちこちガーゼや絆創膏に覆われており、昨日のことが夢だったのではないかと思いたかった訪問者の僅かな希望を打ち砕く。痛々しいほどの様相に戸惑いを隠せない律誠を余所に、淡々とした口調で意味深な言葉を呟いたクラスメイトは、だが流していた視線をすっと戻し正面から向き合った。
「あいつらから抜ける」
それは即ち脱退の洗礼。仲間であることをやめ、これまでのすべてを精算するためには必要なものだったのだと。
「それならもう、あの連中と関係を続けないと思っていいんだな」
「そのための制裁だ。……じゃなきゃやり返してる」
恐る恐る確認した律誠に対し、憮然とした表情が返される。こんな時だけ年相応に戻る彼の内面の変化を推し量ろうにも、今の委員長には手が回らない。
「やられっぱなしだったのか? ずっと!?」
「……そーいうモンだからな」
目を丸くする相手に苦笑を浮かべ、そっと前髪を持ち上げる。珍しく覗く形のいい額。それを随分久しぶりに見たと気付いた律誠は、そういえば初めて目にしたのはいつだったかと思い返し、彼と初めて会った屋上でのワンシーンに思い至る。……あの時、彼は悪戯な春風に髪を預けながら無防備な寝顔を見せていたのだった。今思えばあの時から、自分は雪之しか目に入らなかったのかも知れない。
ごくり、と喉が鳴る。
静かな部屋に予想以上に響いたそれを誤魔化そうと口を突いて出た言葉は、存外彼の袖を引き止める内容で。
「急、なんだな……」
案の定訝る眼差しに眉を寄せながら、それでも「これまでのおまえにとっては大切だったんだろう」と続けた。
「うん……まぁ。でも、俺にもよく分かんね……」
珍しく言葉を濁した部屋の主は、長い指で髪を梳くと、そのまま掌をギュッと握った。何かの決意の現れのように力が籠もる拳を見遣りながら、何故だろう、鼓動が早くなってゆく。
「唐突に思い立ったわけじゃないから。前から考えてたんだ」
「何かキッカケがあったのか」
「キッカケ……」
遠くを見るように目を細めた雪之は、取り出した思い出をひとつひとつあやすように口端を持ち上げる。やがて辿り着いた答えに、律誠は再び目を見開かされる結果となった。
「おまえかも」
「俺!?」
「おまえがあんましつこいから」
そう言ってニヤリと笑う、それは既に確信犯の顔。
「何度振り払っても声掛けて来んじゃん。最初はウザイって思ってたんだけど……」
「思ってたのか……」
明らかにムッとした声を悟られたか、雪之が声を立てて笑う。およそ初めて見る表情、初めて聞く笑い声。
「俺、他人にそんな風に構われたことなかったし」
「………え?」
「おまえ言っただろ。分かり合いたいって」
それは彼が自暴自棄になったあの日。心の底から願っていた言葉。
「あれが、キッカケといえばキッカケ」
それを彼が受け止めてくれたという事実。願いが叶った瞬間だった。
はにかむように雪之は笑う。
「……正直、嬉しかった」
そう言って、目を細めて。
「おまえに会って、自分が少しずつ変わってるのが分かるんだ」
僅かに身動ぐ衣擦れの音だけが届く室内。もう、呼吸するのさえ勿体ないほどの。
「だから、もっと正面から向き合うべきかなって思ってさ。俺なりのケジメ」
唇を横に引いて、ニッと笑う。少し得意気な意志を伝える彼なりのやり方。
だが、いつまで経っても反応がないばかりか、胸が詰まって相槌さえ打てないでいる相手に焦れた雪之は、とうとう片手で律誠を小突いてみせた。
「おら、何とか言えよ。ひとりでベラベラ喋ってたら恥ずかしーだろっ」
見間違いでなければうっすら染まる頬。それを誤魔化すように大きくなる声。だが、今はそれさえも認める余裕のない訪問者はただひたすら目元を潤ませ口を覆うばかりで。あまりの挙動を不審に思った雪之が覗き込むと、それを避けるように更に俯きを深めつつ、ポツリと呟く声。
「……ごめん」
「あ?」
「ごめん。ちょっと、その……おまえがあんまり素直だから俺、」
感動して……。
それ以上の言葉のない相手に一瞬ポカンと呆けた雪之は、次の瞬間脳内配線の切れる音を聞く。
「ア・ホ・か・お・ま・え・はーっ」
そうして近所にまで響き渡った大声で我に返る者、自我を見失う者。二者それぞれの様相を呈しつつ、ここにふたりの新たな一歩が刻み込まれた。
guys #23 に続く
guys #21
←前話へ
暗闇の中、君の面影だけを探す夜───。
つい最近教えてもらったばかりの携帯電話に掛けてみるのだけれど、それは何度試しても繋がらなかった。無情なアナウンスの声に不安を掻き立てられ、そのたび悪い予感を振り切るように走り続ける。目的地の中央町などもうとっくに回り切ったというのに手掛かりひとつ掴めない現実。焦りだけが肥大してゆく。
「……くっ」
雪之の行きそうなところは分からなくて、好きな場所など見当も付かなくて、そうして東奔西走しているうちに自分は彼のことなど何も知らないのだという事実に突き当たる。名前で呼び合って、少しずつ言葉を交わして。そうして親しくなっていると、そして彼に近付きつつあると思っていた、あれは自惚れだったのかも知れない。こんな大事な場面で何ひとつ役立てられない己の不甲斐なさにただ怒りだけを覚えた。
「雪之……っ」
無事でいてくれとただそれだけを願い、律誠は走り続ける。住宅街を抜け線路の向こう、広い河原まで一気に駆けて、苦しさに呼吸を放棄した喉を押さえた。
「……は、ぁっ」
肺に空気を溜め込むたび、膨らむ肋骨が軋むのが分かる。酸素を取り入れる気管は耳慣れぬ音を立て、俄酷使に抗議していた。深呼吸をするたび痛みに咳き込むほどただ夢中で駆けて来たのに、自分が向かっていた先にある現実でさえ見失いそうになる。河原の縁、覗き込んだ水面に映る月が細波に歪む様を見つめながら、律誠は静かに、だが激しく己の心が揺さ振られるのを感じていた。
深い闇を映す色。
終わりの見えない不安を煽るばかりで、それを覗き込む人間の恐怖や葛藤なんてこれっぽちも相手にしない。馴れ合わない。寄り添わない。手を差し伸べない。こんなにも穏やかでこんなにも容赦のないものがあることすら、こんな時にしか気付かない。黙って立っていたら気が狂ってしまうのではないかと思えるほど冷静さを失っている律誠にとって、縋る手を振り解かれるような孤独感が耐えられなかった。
「……雪之、どこだ……どこにいる……」
返事をしてくれ。頼むから。お願いだから。
不安に押し潰されそうで涙さえ出ない。詰まる喉を堪え、広い河原に架かる陸橋を見上げた、その先。
「…………あれ、」
トクン、と胸が鳴った。
草原に横たわる塊がもし、人間だったら。
「まさか……」
地面に俯せたままピクリとも動かないそれが、彼だったら。
「雪之───!」
気付いた時には走り出していた。
不規則に伸びる雑草に何度も足を取られ転びそうになりながらも、必死に駆け寄った先には案の定、低い呻き声を上げて横たわる姿があった。
「ゆ、きの……。雪之! 雪之分かるか!」
咄嗟に傍らに膝を突き、上半身を抱き起こす。辛うじて意識はあるのか呼び掛けに対してうっすらと目が開くものの、言葉を返せるほど力は残ってはおらず、確保した気道からはヒュウッという空気音が響いた。点在する街灯の明かりでさえ分かる、夥しいほどの泥、傷、そして血痕。口の中を切ったのか、手の甲で拭おうとした血が一筋口端を伝った。
「ど……して、こんな…………」
見違えた姿に律誠はしばし言葉もない。ようやく見付けた安堵など一瞬で吹き飛んでいた。
抱き抱えた肩、その細さに息を飲む。汗で貼り付いた前髪を掻き上げると、血色を失った顔がそれでも無理矢理表情を作ろうとすることに切なさすら覚えた。
「…………バ、カ。なんて顔、してんだよ……」
そうして笑ってみせようとして。痛みにたちどころに顔を歪ませるくせに。
「だって、おまえが……っ」
「バーカ。泣く、なよ」
「……っ」
あぁ、こんな柔らかい笑みを見たことがない。
強がるなと言いたいのに、けれどそんな言葉さえ声にした途端泣いてしまいそうで、律誠は唇を噛むことしか出来なかった。だから代わりに抱き締める。不安も恐さも後悔さえもすべて連れてゆくために。
「り、…せい?」
「雪之、俺と約束してくれ」
肩口に頬を寄せれば伝う体温に眩暈がする。ドクドクと脈打つ鼓動に命を感じ、何があってもこれを守らなければならないと強く思った。
「おまえを失くしたくないんだ」
何と引き替えにしても惜しくない。
君がいなければ意味がない。
「もう、こんなことはしないでくれ……。頼む………」
くぐもった声、恐らく泣いていることすら彼に知られてしまっただろう。それでも心の底からの願いをどうして誤魔化しなど出来たろう。だから告げる、精一杯の想いを込めて、全部自分をさらけ出して、何ひとつ曇りなく、何ひとつ飾らずに。
「…………律誠」
小さな声、応えようとした唇はけれど、背に回された腕に動きを止めた。
「雪之」
そっと抱き返された瞬間、律誠の中で何かが弾ける。どうしていいか分からない衝動に身を任せるままぎゅっと力を込めて抱いた。ただ強く強く強く。どこにも行かないでと願いを込めて。その重みを受け止めながら、雪之もまた自分を縛る鎖が解かれてゆくのを感じていた。ふたりともが壁を越えた瞬間だった。
月は強かに、そしてしなやかに生きるふたりを照らし出す。
これからの道筋を示すために───。
guys #22 に続く
- | HOME |
- NEXT PAGE≫