guys #18
←前話へ
奇跡は、起きてしまえば案外あっけないものなのかも知れない───。
何気ない日常。何気ない朝。
同じ時間に家を出て、同じ時間のバスに乗って。クラスメイトと挨拶を交わしたり、仲間と冗談を言い合ったり。ショートホームルームまで15分の余裕がそれぞれを穏やかに過ごさせる。あと10分もすれば遅刻との境界線を泳ぐ生徒達の群で廊下はさながら群雄割拠となるだろう。慌ただしさなど微塵も見せない今は嵐の前の静けさに似ていた。
窓際の席、途切れることなく校門を潜って来る生徒達を見るともなしに眺めていた律誠は、ぴょこん、と視界に泳ぐ小動物に途端意識を遮られた。
「おはよ、律誠」
「……あぁ、おはよう。比那」
そういえば昨日はサンキュ。
そう言って付け加えると、瞬きをした彼は、いーよいーよ、と笑った。
雪之を追い掛けてバタバタとしたクラスを放り出した後、有栖がどんな手腕でまとめてくれたかは級友達から伝え聞いていた。パニックが起こった時の人間心理を熟知しているジャーナリスト志望らしい、実にスマートな手際だったという。
「それより大丈夫だった? 殴られたんでしょ?」
まだうっすらと腫れの残る頬を見遣るのに、委員長はやんわりと首を振って答える。
「たまたま手がぶつかっただけだ。それに、もう殆ど痛みもない」
「そっか。ならいいけど……。それより問題は有沢だよね。急に仲良く……とはいかないだろうけど、取り敢えず少しだけで話とか、出来た?」
「あぁ、それなら……」
伏せていた目を上げる。昨日のことをまだ報告していなかったのは、言いたい気持ち半分、勿体ない気持ち半分で、自分自身持て余していたからだ。何故だろう、特別なポジションを獲得した喜びを独り占めしたい想いが強かった。
───と、そこに、意中の人。
「あ、」
相変わらず仏頂面で立ち尽くす雪之は、けれど目が合った途端すべての動きを止めた。全身が緊張で固まっているのが分かる。まるで借りてきた猫のように大人しくなった彼の様子に、まず気付いたのは傍らの有栖だ。明らかに昨日までと違う態度に、何かあったのかと雪之を見、それから顔をぐりんと反転させて律誠を見、そこに答えを発見した。
迎えたるは、満面の笑み。
「おはよう。雪之」
「───っ!」
息を飲んだのはむしろ有栖の方だったのかも知れない。そして静かな教室に凛と響いた声によって一同がギョッと振り返るのが分かった。
当の本人と言えば至って涼しい顔で、にこにこと実に平和そうに笑っているくせに、相反する表情を浮かべたトラブルメーカーはこれまでの鉄面皮も床に叩き付ける勢いで捲し立てた。
「てめ、律誠! デカイ声で呼んでんじゃねーよっ」
「悪い。つい、嬉しくて……」
「余計悪いわっ」
「……そういうおまえも充分大声みたいだが……」
ハッとして振り返れば既にクラス一同が固唾を呑んでこちらを凝視している。目が合うと誰もがそそくさと視線を床に泳がせるというこれ以上ない痴態の晒しっぷりに、これはどんな仕打ちなのかと雪之が肩を落としつつ席に着く中、ようやく我に返った有栖は渦中の人物に突撃レポートを開始した。
「ちょっとちょっとちょっと律誠、なに今の!」
そうやって目を丸くしていると本当に女の子みたいだな。……なんて、本人に言ったらどんな記事がでっち上げられるか恐くて口が裂けても言えないが。
「なんで名前で呼び合っちゃってんの?」
だからここは敢えて、ワケあり顔で。
「うーん。秘密、かなぁ……」
「なにそれ。この前ツッ込んだ時はめちゃめちゃ否定してたくせにー」
そんな疑問もサラリと放り。
「ちなみに名前で呼んでいいのは俺だけだから」
「うっわ。あからさまに独占欲丸出し!」
キーッとハンカチを噛み締める仕草にも負けず、律誠は実に爽やかな笑みで畳み掛けた。
「何とでも言ってくれ」
「さーいーあーくー。ていうか顔ニヤけ過ぎっ」
朝のトップニュースを飾ったこの珍事件により雪之は一躍時の人となり、今まで以上に苦虫を噛み潰す羽目となった。
好奇心の赴くまま想像の翼を広げる者、事件の発端の自覚なくひとり幸せに浸る者。三者三様の様相を呈しつつ、ショートホームルームの鐘が鳴った。
guys #19 に続く
- | HOME |