Monthly archives

 2007年10月 

guys #21 

←前話へ

 暗闇の中、君の面影だけを探す夜───。

 つい最近教えてもらったばかりの携帯電話に掛けてみるのだけれど、それは何度試しても繋がらなかった。無情なアナウンスの声に不安を掻き立てられ、そのたび悪い予感を振り切るように走り続ける。目的地の中央町などもうとっくに回り切ったというのに手掛かりひとつ掴めない現実。焦りだけが肥大してゆく。
「……くっ」
 雪之の行きそうなところは分からなくて、好きな場所など見当も付かなくて、そうして東奔西走しているうちに自分は彼のことなど何も知らないのだという事実に突き当たる。名前で呼び合って、少しずつ言葉を交わして。そうして親しくなっていると、そして彼に近付きつつあると思っていた、あれは自惚れだったのかも知れない。こんな大事な場面で何ひとつ役立てられない己の不甲斐なさにただ怒りだけを覚えた。
「雪之……っ」
 無事でいてくれとただそれだけを願い、律誠は走り続ける。住宅街を抜け線路の向こう、広い河原まで一気に駆けて、苦しさに呼吸を放棄した喉を押さえた。
「……は、ぁっ」
 肺に空気を溜め込むたび、膨らむ肋骨が軋むのが分かる。酸素を取り入れる気管は耳慣れぬ音を立て、俄酷使に抗議していた。深呼吸をするたび痛みに咳き込むほどただ夢中で駆けて来たのに、自分が向かっていた先にある現実でさえ見失いそうになる。河原の縁、覗き込んだ水面に映る月が細波に歪む様を見つめながら、律誠は静かに、だが激しく己の心が揺さ振られるのを感じていた。
 深い闇を映す色。
 終わりの見えない不安を煽るばかりで、それを覗き込む人間の恐怖や葛藤なんてこれっぽちも相手にしない。馴れ合わない。寄り添わない。手を差し伸べない。こんなにも穏やかでこんなにも容赦のないものがあることすら、こんな時にしか気付かない。黙って立っていたら気が狂ってしまうのではないかと思えるほど冷静さを失っている律誠にとって、縋る手を振り解かれるような孤独感が耐えられなかった。
「……雪之、どこだ……どこにいる……」
 返事をしてくれ。頼むから。お願いだから。
 不安に押し潰されそうで涙さえ出ない。詰まる喉を堪え、広い河原に架かる陸橋を見上げた、その先。
「…………あれ、」
 トクン、と胸が鳴った。
 草原に横たわる塊がもし、人間だったら。
「まさか……」
 地面に俯せたままピクリとも動かないそれが、彼だったら。
「雪之───!」
 気付いた時には走り出していた。
 不規則に伸びる雑草に何度も足を取られ転びそうになりながらも、必死に駆け寄った先には案の定、低い呻き声を上げて横たわる姿があった。
「ゆ、きの……。雪之! 雪之分かるか!」
 咄嗟に傍らに膝を突き、上半身を抱き起こす。辛うじて意識はあるのか呼び掛けに対してうっすらと目が開くものの、言葉を返せるほど力は残ってはおらず、確保した気道からはヒュウッという空気音が響いた。点在する街灯の明かりでさえ分かる、夥しいほどの泥、傷、そして血痕。口の中を切ったのか、手の甲で拭おうとした血が一筋口端を伝った。
「ど……して、こんな…………」
 見違えた姿に律誠はしばし言葉もない。ようやく見付けた安堵など一瞬で吹き飛んでいた。
 抱き抱えた肩、その細さに息を飲む。汗で貼り付いた前髪を掻き上げると、血色を失った顔がそれでも無理矢理表情を作ろうとすることに切なさすら覚えた。
「…………バ、カ。なんて顔、してんだよ……」
 そうして笑ってみせようとして。痛みにたちどころに顔を歪ませるくせに。
「だって、おまえが……っ」
「バーカ。泣く、なよ」
「……っ」
 あぁ、こんな柔らかい笑みを見たことがない。
 強がるなと言いたいのに、けれどそんな言葉さえ声にした途端泣いてしまいそうで、律誠は唇を噛むことしか出来なかった。だから代わりに抱き締める。不安も恐さも後悔さえもすべて連れてゆくために。
「り、…せい?」
「雪之、俺と約束してくれ」
 肩口に頬を寄せれば伝う体温に眩暈がする。ドクドクと脈打つ鼓動に命を感じ、何があってもこれを守らなければならないと強く思った。
「おまえを失くしたくないんだ」
 何と引き替えにしても惜しくない。
 君がいなければ意味がない。
「もう、こんなことはしないでくれ……。頼む………」
 くぐもった声、恐らく泣いていることすら彼に知られてしまっただろう。それでも心の底からの願いをどうして誤魔化しなど出来たろう。だから告げる、精一杯の想いを込めて、全部自分をさらけ出して、何ひとつ曇りなく、何ひとつ飾らずに。
「…………律誠」
 小さな声、応えようとした唇はけれど、背に回された腕に動きを止めた。
「雪之」
 そっと抱き返された瞬間、律誠の中で何かが弾ける。どうしていいか分からない衝動に身を任せるままぎゅっと力を込めて抱いた。ただ強く強く強く。どこにも行かないでと願いを込めて。その重みを受け止めながら、雪之もまた自分を縛る鎖が解かれてゆくのを感じていた。ふたりともが壁を越えた瞬間だった。
 月は強かに、そしてしなやかに生きるふたりを照らし出す。
 これからの道筋を示すために───。

guys #22 に続く