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 2007年12月 

cross #14 

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 ふたりは距離感を縮めつつあった。
 冬夜の奇跡的とも思える天然ボケは訪問者の緊張を解していたし、キリエの理に適った物言いは家主を大いに助けていた。偶然から出会ったとは思えぬほど互いが互いにとって心地いい存在。言い換えるなら奇跡という言葉をおいて他になかった。
 穏やかで、和やかで、少し眠くなるような時間。
 夕食後ののんびりとした空気に身を任せながら、キリエはふと思い付いた疑問を唇に乗せた。
「……そういえば、この家には鏡はないの?」
 それはシャワーを浴びた際に感じた違和感。何か足りないような気がして思い巡らせた結果、風呂場にも脱衣所にも姿見がない事実に行き当たった。
「うん…」
 だが、普段なら打てば響くといった具合にポンと答えを返すはずの冬夜は目を泳がせ、どうせ見ないから、と言い淀む。
「そう。身なりを整える時に不便じゃないの?」
「ん、別に…」
 そう言ってすっと目を逸らす素振りが詮索を嫌っている気がして、キリエはそれ以上追随することはなかった。滅多に出歩かない彼ならそんな生活もアリなのかも知れない。
「なぁ、それよりさ。レコードかけていい?」
 つと立ち上がって冬夜が振り向く。手にはいくつかのレコードジャケット、視線の先には古びた機械。途端目を奪われた訪問者はゆっくりと口角を上げた。
「へぇ、プレーヤーがあるのか。懐かしいな……。何を?」
「何が好き?」
「クラシックでもいいなら……そうだな、ヴェートーベンの『月光』を」
 そっと針が落とされ円盤が回るのを見守りながら、いつか聴いた調べに耳を傾ける。静かなピアノが闇を彷徨うように天を仰ぐ音。絶望の淵から光は遠く、辿り着けぬ希望にあの頃の自分を重ねた。
 かつて、この曲を愛した人。
 彼女は月の綺麗な夜になると決まって窓辺に凭れ、降り注ぐ光を浴びながらこの曲を聴いていた。祈るように、或いは懺悔をするように目を閉じる姿は生身の人間とは思えぬほどで、声を掛けることすら出来なかった。それが今、数百年を隔てた遠い日本の地で、目の前で、再現されようとしている。夢を見るように焦点を暈かす冬夜は、光の粒子の中でを浅い呼吸を繰り返していた。時を止め、ずっとそこにいたような静寂感、そして緊迫感。常ならざる者の威厳さえ漂わせ月を従える様子は、まさに失った過去そのままで───。
「……っ」
 彼女と冬夜。
 まったく別の人間であるにも関わらず、ふたつのイメージはじわじわと融合しつつある。それが自らの意識によるものか、或いはまったくの偶然なのか、切り分けられぬままキリエは冬夜にかつての恋人を重ね始めていた。生き写しのように瓜二つな姿は彼の心蝕み、ゆっくりと、だが確実に追い詰めてゆく。
「キリエ、どうかした?」
「あ、いや……。何でもない……」
 覗き込まれた瞳、その色にさえ、衝動を抑えられない。
 後戻り出来ない砂時計から砂は落ち始めた。

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キーマンである彼女と冬夜の類似点に翻弄されるキリエ。
『月光』の重い響きが衝動に変化する瞬間がイメージです。
ちなみに明日も更新しますので引き続きお付き合いくださいませ!

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cross #15 に続く