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 2008年01月 

seek #12 

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「実体験、ねぇ……」
 PCの前で頬杖を突きながら一夏はポツリと呟いた。
 己に言い聞かせるでなく、答えを模索するでもなく、敢えて言うなら "途方に暮れている"のである。
 なにせ恋愛感情のまったくない相手に迫られること自体初めてで、相手のこともよく知らない状態では嬉しいとか迷惑とか、そんな気持ちすら浮かんでこない。出会い頭の事故のように見知らぬ人間から迫られる体験を小説にするとはいかがなものか……という疑問が浮かぶだけで、筆はさっぱり進まなかった。
「だいたいさぁ、担当だぜ?」
 そして自分は駆け出しの作家。
 この間に何か起こるとしたら喧嘩別れしかなかろうが。
「上手くいっても問題じゃないの?」
 それこそ公私混同も甚だしい。
 ましてや公になれば氷堂の首が飛ぶことは目に見えている。
「なんでそんなリスキーなことすんだろ……」
 俺がBLが分かんないからか?
 既存作品に染めたくないとしたら、それしか方法がないのか?
「あいつ……よく分かんねー……」
 長いこと放置したせいで、画面には既にスクリーンセーバーが走っている。それをボーっと眺めているうちに、出口のない迷路に迷い込んだ一夏は次第に意識を遠退かせていった。



 夕暮れの中、肌寒さで目が覚めた。
 ぶるりと身を震わせ、布団を引き寄せようと手を伸ばして初めて、一夏はデスクで寝ていたことに気付く。うたたねのはずのそれは予想外に長時間の仮眠となり、更にヒーターが切れこともあって、まんまと寝冷えしてしまったらしい。
「……痛…っ」
 唾液を飲み込めば、途端引き連れるような鋭い痛みが喉を襲った。
「やっちゃったか……」
 ガシガシと頭を掻き、溜息をひとつ。
 アイディアは浮かばない、心労は溜まる、それに加えて風邪も引いたなんて完璧な三重苦じゃないか。心なしか顔も熱い気がする。怖いから熱は測りたくない。デジタルの数値に置き換えられたら途端に倒れてしまいそうで。
「病は気から、って言うもんな」
 微妙なフォローで無理矢理己を鼓舞し、立ち上がる。だが出鼻を挫くようなタイミングで机の上の携帯が鳴った。
「……もしもし」
「あぁ、ひどい声ですね。煮詰まっているんじゃないですか」
 この心臓に悪いタイミングは本当にどうにかしてほしい。相手は件の担当だった。
「こんばんは。どうですか、進み具合は」
「うん……全然」
 もっと元気な時なら虚勢を張ったかも知れないが、今の一夏にそんな余裕などどこにもない。素直に筆が進まないのだと打ち明けると、意外にも氷堂は笑うのみだった。
「そんなことじゃないかと思いましたよ。……他の新人ならデビューに身構えるせいでそうなりますが、あなたの場合はジャンルの壁が高いでしょうから」
 却ってよかったですね、とよく分からない慰めをもらいつつも、何故だろう、氷堂にそう言われるとひどく安心する自分がいる。
「心配しなくても最初は皆そうです。イチカだって大丈夫ですよ」
「あぁ、うん……ありがと」
 穏やかな声が染み込んでゆく。スピーカーの声が優しい魔法に変わってゆく。
「ところで広告の件ですが───」
 仕事の内容になると途端変わる彼の声音。
 姉妹雑誌等に打つ広告の最終確認としていくつかの事項をチェックした氷堂は、手元でメモを取っているのか時折声が止まる。その僅かな隙間を縫って彼の息遣いに声を殺しながら、一夏は目の前が揺れるのが分かった。
 グラリと傾く身体。
 ぐにゃりと歪む時計。
 倒れ込むのを支えようと机上に突いた掌がやけに冷たく感じて、あぁ、熱が上がってきているのだと思う。指先が痺れ、電話を持つのさえしんどくなった。
「……チカ、イチカ?」
 耳に届いているはずなのに、反応出来なくなりかけている声。
「あ…すいません……」
「どうしたんですが。大丈夫ですか?」
「……ハハ、ちょっと、ダメかも……」
 風邪引いたっぽくて。
 そう付け加えると電話の向こう、一瞬くぐもる音が聞こえた気がした。
「熱もあるんでしょう。今は自宅ですか」
「うん」
「薬は? お茶や冷たいタオルは用意できますか?」
「たぶん……」
「今すぐ寝てください。作品のことは考えないで」
「分かった。……その、ごめん。折角いろいろしてくれてるのに」
「ハイハイ。元気になったらその分頑張ってもらいますから。今は気にしないで休んでください」
 そうして声に後押しされるようにフラフラとベッドに横になった一夏は、電話を握り締めたまま意識を手放す。
 眠りに落ちるその瞬間、脳裏に宿る彼の横顔───

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次から次へと試練に襲われる一夏は大丈夫かしらと思いつつ、
実は氷堂サンの声に安心感を覚えるあたり、やっぱり天然……。

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seek #13 に続く