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 2008年03月 

noir #18 

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 理性は背徳に、幸福は罪悪に掻き消される。

 冷たいベッドで身動ぎもせず氷室は己と対峙していた。
 未だ余韻の消えない唇を指でなぞり、息を詰める。感情の迸るままかわしたキスに今更のように動揺が走った。
 きっと、彼なりの最上級の返事であることには違いない。無論そこに自分と同じ恋愛感情が含まれているわけではないことも承知の上で、氷室は好意を受け止め、更に深い闇に嵌った。
 人間の欲なんて底がない───今は心からそう思う。告げる前より強く、触れる前より激しく、彼を求め欲している自分が抑えられない。だからこそ目を閉じ耳を塞ぎ口を紡ぐことで、事態の悪化を食い止めるしかなかった。

 主の息子を愛することへの背徳感。
 彼の人生を変えたことへの罪悪感。

 二重の罪に雁字搦めにされたまま堕ちて行く。救いの光など、届く隙もなかった。




 一方、立夏はメビウスの輪に翻弄され、思考を整理出来ないまま混乱していた。
 これまで恋愛対象として考えたことなどなかった相手。友達や幼馴染みならまだしも、15も年の違う相手は大人であり、執事であり、教育係だった。生まれた時からずっと一緒にいるだけあって好きも嫌いもない。ただ、傍にいなければいけない存在なのだと強く思っていた。
 これから先どう対峙していけばいいのか、その難題に答えはない。どんな選択をしても間違う気がして思い付くものから選べない。自問自答ばかりを繰り返す少年に、月光は慰めるように優しく降り注いだ。
 この状態は、遅かれ早かれいずれ崩壊する。ぬるま湯が溢れる時が来る。それでも、いや、だからこそ。
「諦めさせるかよ……っ」
 奥歯を噛み締めると、立夏は一意専心した。
 氷室の感情を知れば、父は間違いなく彼を辞めさせるだろう。危険因子を排除するのがトップの常。逆に逃避行したところで生きていけるとは思えない。グループの力を以てすれば居場所の特定など容易だった。
 このままでは先がない。けれどここから逃げても明日はない。どうする。どうすればいい。どうやったら共にいることが出来る。氷室と一緒にいることが出来る───。
「………あぁ」
 一心に考え続けた立夏はふと、あの機械のことを思い出した。
「GSM…」
 そもそもの発端。最後の切り札。
 自分に経営者としての資質がないと判断された暁には再び性転換装置に掛けられ、女性として氷室に嫁ぐ計画が水面下で進行していると聞いた。そしてその可能性は高いとも。
 これは偶然か、それとも必然か。
 自分が女性になりさえすれば、彼と一緒にいるのも自然に映る。想いを諦めることなく、逃げることなく、すべてはシナリオ通りに完結し、誰も悲しまずに済むのだ。
 一気に答えを導くと、早鐘を打つ鼓動に押され身を起こす。唯一のパスを実行することに盲目となった少年は、少しでも早く実行すべくパジャマのまま部屋を飛び出した。
 真夜中、午前一時。
 冷たい絨毯が裸足を撫でる。
 縺れそうになる足下を制し、実験室へと駆けて行く間、立夏はただの一度も気が付かなかった。こうまで思い詰めること自体、彼に惹かれている証拠であることを。諦めさせたくない本音がどこにあるのかを。
 そして、共に在るために払う代償がどれだけ大きいかということを───。

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近ければ近いほど遠回りな恋をしますねぇ、このふたり。
必死さが少しでも伝われば嬉しいなぁと思う次第です。

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noir #19 に続く

noir #17 

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 この想いを阻むものなど全部壊れてしまえばいいのに。

 男なら責任を取れと詰め寄る立夏に対し、氷室はただ首を振るばかりだった。
「それが出来たら……どんなに嬉しいでしょうか……」
 絞り出した声。どういう意味だと問うはずの言葉は、けれど音になる前に消える。彼の表情が物語っていた。
「素直に想いを告げることが出来たらどんなにいいだろう……ずっとそんなことばかりを考えていました。……けれど結ばれるはずがない、壁はあまりに高いのです」
 自らの胸に杭を打つ。すべてを諦めなければならないと言いながらも手放すことが出来ない苦しさに、氷室は泣くように笑った。
「俺が、御園の人間だからか」
「はい。私は御園様に雇われている身です」
 主従関係の根本を裏切る行為は出来ないと。
 それに、と一呼吸置くと、執事は強い眼差しで立夏を射貫いた。
「私はあなたの人生を変えてしまった───。これは、一生懸けても償えないものだと思っています」
「あれはオヤジの意向だろう、おまえは関係ない」
「けれど私が機械を作らなければ……」
「俺達は会うこともなかった」
 そう、ここに至る道程もなかった。
「……俺さ、」
 大きく息を吐き出すと立夏は胸懐を告げる。これまで誰も立ち入らせたことのない心を、今初めて、氷室に晒す。
「確かに俺はあの機械で女から男に変わったけど、それだけで人生が台無しになったわけじゃない。俺のアイデンティティは俺が作ったモンだし、おまえが気負うことは何もない」
「立夏様……」
「男だからダメで女だからいいとか、そーいうの自体がどんだけ下んないか、今回ハッキリ分かったしな」
 性別に固執して未来を決められてしまうなんて許せない。それは跡継ぎとして生きることも、誰を愛し愛されるかもすべてが等価値。決定権などこの手にある。だからこそ。
「おまえは……生まれた時から一緒にいて、傍にいるのが当たり前だったから……。好き、とか、そういうの……考えたことなかった」
 言い淀む相手に氷室が目を細める。
「無理しないでいいんですよ」
「それじゃおまえがよくねぇだろ」
「いいんです」
「何がだよ。答えも何もいらないってのか」
 執拗に食い下がるのは諦めて欲しくなかったから。可能性を捨て、痛みから身を守ろうとする殻を破りたかったから。
 氷室の胸ぐらを掴み顔を寄せると、瞳の奥が慟哭に歪んだ。
「立夏様を苦しめるものを取り除くのが私の仕事です」
「……っ」
 それならば今すぐ。
 それならばここで。
 息を詰まらせ、言葉を捨てて、立夏は右手を引き寄せる。咄嗟に身を屈めた相手の首に腕を巻き付けると、そのまま勢いに任せてくちづけた。
 強引で、力任せのキス。唇を割り、舌を滑り込ませるだけで体中が疼くようなキス。目を閉じず、息も殺さず、噛み付くように貪る、そのすべてが愛しかった。
「……は、ぁっ」
「りつか…」
「……ハハ、びっくりしたかよ。男ならこんぐらいしてみせろ」
 身体を離した僅かな間。吐息さえ頬に感じるほどの近さで、立夏がニヤリと口端を持ち上げる。すべてを察し目を細めた氷室は、いつもの表情で苦笑した。
「まったく……あなたには敵いません」
 そう言って抱き寄せ、負けない力が抱き返す。
 初めて感じる自分以外の鼓動だった。

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ようやく、よ〜〜〜ぉやく、第一歩です。初めてのキスは立夏から。
受けが強気で男前なのが書いててかなり楽しいわ(笑)

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noir #18 に続く

noir #16 

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 頑なに遠ざけるほど心は君を求めて。

 家出騒動の決着は、父親から言い渡された自宅禁固だった。
 元々自由の鳥でもないくせにと自嘲したところで何が変わるわけでもなく、却って外界と遮断されたのをいいことに立夏は徹底して己と外を繋ぐものを排除した。徹底的に氷室を遠ざけ、顔を合わすことすらしない。声を聞かなくなって久しくさえあった。
 その間、身の回りの世話はお手伝いの女性に任せていたものの、立夏の癖や好みを充分に把握していない彼女を相手に、少しずつ疲れが溜まってくるのもまた事実。仕方がない。生まれた時から一緒にいる人間と比べる方が間違っている。何より一生懸命やってくれているだけに詰ることも出来ず、彼女のせいではないことも分かっているから余計、行き場のない苛立ちを持て余して主はそっと瞼を下ろした。
 夕闇が部屋の中を紅に染める。
 窓から差し込む斜陽は立夏の細い髪を染め、そのまま床へと零れ落ちた。
 このままどこにゆくのだろう。これからどうすればいいのだろう。
 自問自答の答えは糸口さえも掴めぬまま、立夏は日頃の疲れにうとうとと意識を奪われてゆく。やがて白み始めた世界にすべてを手放そうとした、その時───そっと身体に触れた暖かさに目が覚めた。
「……ん、」
「風邪を引きます」
 静かな声音が忽ち現実へと引き戻す。氷室だった。
「おまえか。出て行け」
 今一番会いたくない───けれど心のどこかで知っている、いつも辛い時に一番近くにいた存在。
「身体が冷え切っています。温かい紅茶はいかがですか」
 そう言うなり返事を待たず、執事は慣れた手付きでティーポットを持ち上げた。室内に漂うリーフの香り。ひとつひとつの仕草を見ながら立夏は思い出す、いつだってこうして紅茶を煎れて、冷えた心を温めてくれたのだと。
 どうぞ、と差し出されたのはミルクを入れたアッサムティー。疲れた時に自分が一番好むものを、何も言わず出してくれる心遣いに胸が痛んだ。
 カップに口を付け、ゆっくりと飲み下す。
「……美味い」
「恐れ入ります」
 けれど溶かされ始めた心とは裏腹に、あくまで仕事然とする横顔が夕映えに映る。どこか寂しささえ漂う姿に立夏は言葉を失った。
「先日は、申し訳ありませんでした」
 瞬目を繰り返す主に対し、深々とその頭を下げて。
「執事としての立場を弁えない不適切な発言であったと……。それで立夏様を混乱させてしまったことを、心からお詫びいたします」
 彼が何を言わんとしているかなど確認するまでもなかった。愛している、そう告げた言葉も態度も何もかも、なかったことにしてくれという氷室に対し、込み上げたのは悲しみよりも怒りだった。
「な…んだよ、それ。男ならてめぇの言葉に責任ぐらい持てよっ」
 愛していると言われて、本当は嬉しかった。だからこそ仕事としてしか自分を見ない彼がもどかしくて、悔しくて、裏切られた気さえしたのだ。もっと本当の自分を見ろと言いたかった。そして形振り構わず欲しがれと叫びたかった。
 それなのに───。
 唇を噛む立夏に対し、氷室は、すっ、と目を細めて見せる。

 降伏の笑みだった。 

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月光に映える横顔も好きですが、斜陽もまた私的萌えポイントです。
互いが自覚した想い、さて、次回どうなることか……。

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noir #17 に続く