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 2008年03月 

noir #01 

 
 何かを得ようと願うなら、手にある何かを捨てなければならない───。

 幼い頃に聞いた等価交換の法則。
 欲張りな人間のエゴイズムを見透かす言葉を前に、差し出すものなど何もないと肩を竦め、風に吹かれているのが若干15の少年だとしたら。
 寒空に首を縮こまらせ、ポケットに押し込んだ右手を取り出す。握った掌を解いても、そこに希望があるわけでも、ましてや夢が詰まっているわけもなかった。
 考えを振り切るように頭を振れば少し遅れて黒髪が靡く。伏せられた瞳は影を宿し、本来の色が綺麗な薄紫であることを知る者は少ない。もうどれぐらい笑っていないのか、白く長い指先を口元に宛てて思案し掛けた少年は、だがそれさえも愚問であると自嘲に変えた。

 御園立夏(みその りつか)

 一代で大手薬剤メーカーへのし上がった祖父を持ち、御園グループの跡取りとしてこの世に生を受けてからというもの、意志という言葉とは無縁に生きてきた。
 仕事で忙しく、滅多に顔を合わせることもない父親。兄弟はなく、母親は幼い頃に亡くなったのだと聞かされた。そんな孤立した家庭環境の中で唯一言葉を交わす相手は、立夏が生まれて間もない頃から御園の家に仕えている執事の氷室ぐらいのものだ。

 氷室尚人(ひむろ なおと)

 髪も目も漆黒を吸わせたような闇の色。艶やかな髪を後ろに撫で付け、一分の隙もない姿に眼鏡を掛ける。ガラスの奥の瞳が自分の失態によって細められ、諫めるのを見るたび、立夏は鉛を飲み込んだような気持ちになるのだった。
 氷室は御園に忠実だ。父から絶大な信頼を得ているのを見れば誰もが分かる。一人息子の躾から教育までを一手に任せ、帝王学のイロハを叩き込めという父の意向を裏切ることなく、氷室は任務を遂行した。それがどれだけ幼い心を強張らせ、頑ななものにしたのかなど知ることもなく───。
 見渡す限りの土地、すべて自分の家の敷地。
 籠から出たことのない鳥はこれが桁外れということすら分からない。だがそれでも、自分が飛び回るにはあまりに広過ぎることも、どれほど羽ばたいたとしても柵の外には出られないことも分かっていた。
 歪んだ残像が知らせる、己の限界。
 生まれた時から決められていたもの。
「手にある何かを差し出せば……」
 たとえばこの血、この命を。
「手に入るかも知れないと……」
 思っていいのだろうか。それならば、何を願う───意志を持つこと、即ち自由を?
「…………バカげてる」
 口を突いて出そうになった言葉に頬を歪め、踏みにじるように吐き捨てる。冷たい空気に立ち上る白い息を追い掛けて、上げた視線、灰色の雲を映した。
 一縷の望みすら、見出せなかった。

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前作『seek』で一夏が書いたという設定のBL小説「極上ダーリン」。
書き下ろしてみたら当初の設定とはだいぶ離れてしまいました(T-T)
書き方もまた変えてますので、これはこれで楽しんでいただければ〜。

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noir #02 に続く