noir #04
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自由への憧れは、たとえば春の陽炎のように。
氷室の後ろ姿を見送って、未だ釈然としない気持ちを持て余したまま立夏は温かいカップを置いた。見てはいけないと制されれば制されるほど興味を引かれるのは人の常で、更に自分に対して何らかのシグナルを送っているのだとしたら放っておけるはずはない。
意を決し、ドアを開ける。誰もいない廊下へ身を滑らせた立夏は、足早に階段を駆け下り庭へ出た。
途端、鼻孔を掠める夕暮れの匂い。
すべてが黄金色に染まる時間。
空はオレンジから赤へ、そしてやがて濃紺へと少しずつ色を変えながら世界を覆い尽くそうとしている。輪郭を暈かし始めた庭の木々に目を細め、2歩、3歩と歩みを進めた、その時。
「……立夏さん?」
控えめながら凛と響く声。
声室が似ている、と身近な人間を思い出しながら視線をスライドさせた、その先───グラスを手にした先ほどの男性がそこに立っていた。
見間違いじゃないかと思う。だってそれはあまりに思い掛けない……。
戸惑う少年の心中を察したか、男性は穏やかな苦笑と共に目を細めてみせた。
「あ、すみません、驚かせちゃいましたよね」
「あなたは……」
「時丘といいます。御園ラボに入って8年になります」
これでも今年33なんですよ、と人懐こい顔で笑う。これまでの人生で遭遇したタイプの人間とはすべてが懸け離れていた。
時丘 椿(ときおか つばき)。
夕映えを映したような茶色の髪。長く伸びた前髪の間からは、夕日を溶かしたような紅の瞳。細身の身体に似合いの長い手足は科学者としての彼をより強く印象付けるものだった。少し高めのハスキーボイスが彼を年齢以上に若く見せる。並んだら氷室とそう大差ないのだろうと想像しながら、立夏は夕暮れの中に佇む人に改めて向き直った。
「父がいつもお世話になっています」
そして、身に付けた処世術に従って対応する。
「とんでもない、こちらこそ。社長に研究の場を与えていただいていることで我々があるんですから。……それに、経営者であんなに科学分野に造詣の深い方もそういないですよ」
嬉しそうに笑みを作りながらも、一瞬遠くを見るように目が細められたのを立夏は見逃さなかった。それが即ち限られた人間のみが知る研究の一端を表しているようで、そこに深い闇を見た気がした。
「……そういえば、今日は父と仕事の話を?」
「えぇ。ただちょっと……ふふ。議論がヒートアップしてきたので、一度涼しい風に当たろうかと」
そう言うと時丘は子供のようにくすりと笑った。
「僕も社長も頑固者なんですよ。……あ、立夏さんの前でこんなこと言っちゃマズイですよね」
「いえ……いいえ……」
否定し切れなかったのはその屈託のなさに驚いたからではない。父親の性格を知らなかったのだと言ったら目の前のこの人はどんな反応をするだろうか。少しだけ逡巡し、立夏は心の中で苦笑した。
「ところで、どうして俺の名を?」
何気なく口に上らせた問い。父から聞いたのだというありふれた答えは返されず、代わりに深い色の瞳が試すようにこちらを見た。
「生まれてすぐから知っていますよ」
唇が音を紡いだ瞬間、立夏は軽い目眩に襲われることになる。
「あなたの運命を、15年見守って来ましたから───」
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ようやく主要人物が出揃いました。
謎掛け含みつつ、ここから一気にストーリー展開させていきます!
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noir #05 に続く
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