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 2008年03月 

noir #08 

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 動き出したルーレットはもはや誰にも止められない。

 自らの出生に纏わる話を聞いてからというもの、立夏はひとりで考え込むことが多くなった。
 元々口数が多い方ではなく、どちらかというとぶっきらぼうに必要最低限の内容を伝える程度だった会話が、更に少なくなり、返事さえも危ういことがある。目はいつも宙を彷徨い、どこか遠くを見ているように光を失いつつあった。
「どうされましたか。身が入っていないようですが」
「……あぁ」
 哲学書から目を上げた教師は、生徒が最初から目を遣ろうとしていないことなど承知の上で声を掛ける。案の定返された曖昧な答えに溜息を吐き、そっと眼鏡を押し上げた。
「立夏様。どこか具合でも悪いのですか」
 授業の続行を諦め、ひとまず右手を額に宛ててみる。思った通り熱などないことを確認した氷室は居住まいを正し、そして───眉を潜めることとなった。そこにあったのは初めて見る表情。
「……あ、」
 言葉を失うというのはこういう状態を言うのだろう、うっすら口を開けたまま後が続かない立夏が、ただ真直ぐこちらを見ている。困ったように眉を寄せ、頬にうっすら朱を散らしながら見上げる様に氷室はしばし瞬目を繰り返した。
 困ったような、戸惑ったような。
 経営者としてあるまじきと叩きこんだはずの狼狽ぶりに執事は眉を潜め、その奥にある心境の変化を探り当てた。
「私に触れられるのが嫌ですか」
「そ、んな…こと……」
「そうですか、それはよかった。立夏様が小さい頃は何度も添い寝して差し上げたことを思い出しまして」
「……っ」
 ───間違いない。
 眼鏡の奥の瞳がキラリと閃く。
「顔が赤いですね。熱は……ないようですが」
「さ、触んなっ」
 額を付け合わせた瞬間、片手で無理矢理距離を作る姿があった。押し退けられた胸元、必死に突っぱねようとする腕を引き寄せる。
「氷室っ」
「……なんでしたら、今からしてみましょうか。添い寝」
「な…っ バ、バカ!」
 思い切り身を引いた瞬間、椅子が床との摩擦で軋んだ音を立てた。あまりに顕著な反応に執事は答えを確信する。
 間違いない、意識している。
 急な変化は彼自身ではなく、恐らく第三者によってもたらされた影響だと考えるのが自然だろう。生まれてこの方ずっと傍に仕えてきた自分との距離感が分からなくなるほど混乱させるには、人生を根底から揺さぶるほどのインパクトが必要、つまり───考えられる人物はひとりしかいない。
 窓の外、墨を引いた夜に面影を映す。
 闇に浸る時が来た。

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突き付けられたシナリオに戸惑う立夏、水面下で動き出した氷室。
いつか「添い寝」じゃ済まなくなることを妄想しつつ……(笑)

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noir #09 に続く