noir #11
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偶然は奇跡ではなく、必然の産物でしかない。
暗闇の中、つい今し方の会話に耳を欹てる存在があった。混乱したまま、それでも氷室と話をしようと後を追って来た立夏である。誰かと言葉を交わすのに足を止め、物陰から覗き込んだ先───予想だにしない遣り取りに足はそのまま凍り付いた。
再び機械に掛けられるかも知れない。
それを聞いた時、焦りばかりが先に立ち、悲しみすら起こらなかった。不自由のない生活の中で何ひとつ自由にならない心を抱き締めたまま成長すると、人はこんなにも飼い慣らされてしまうのかと自嘲すら込み上げる。だが、そんな自暴自棄になり掛けていた思いは、執事の独白によって拭い去られた。
記憶が消される。思い出も、何もかも。
自覚した瞬間の胸の痛み。熱い鉄の杭で串刺しにされたような衝撃に立夏は我を忘れ、忽ちの内に踵を返すと、無我夢中で駆け出した。どこでもいい。早くその場から離れたくて、駆けて駆けて駆けて───辿り着いたのは彼の実験室だった。
「は、ぁ……っ はぁっ」
整わぬ息を無理矢理押し込め、重い扉をこじ開ける。普段は近付くことすら許されぬ地下の一室は、扉が開くのと入れ違いに冷たく淀んだ空気が頬を撫でた。
薄暗く、視界が暗順応に追い付かない。まるでカオスのように雑然とした部屋の片隅に目を遣った瞬間、立夏は足下が竦むのを感じた。───あの機械、だった。
「これが…GSM……」
思ったよりずっと大きいそれは頑丈なハッチが取り付けられた二重構造で、大人ふたりが余裕で入れるほどの大きさを有する。ただの性転換装置ならこの半分で充分だろうに……そう思った瞬間、立夏の脳裏に恐ろしい仮説が過ぎった。
「……等価交換、てことか……」
ここまで研究は進んでいるなんて。
這い上がってきた悪寒にぶるりと震える。予想以上の進化に立夏は言葉を失うばかりだった。
かつて、実験の第一被験者としてこの機械に入り、性別を変えられてしまった自分。そして今、再びその悪夢に襲われようとしている。父親の駒としてしか存在することを許されなかった己にとって楽しかったとは言い難い人生、けれど、誰かのエゴによってすべてを取り上げられるなんてまっぴらゴメンだ。
ゴクリ。喉が鳴る。緊張で掌がキュッと竦んだ。
最初で最後のクーデターを起こす。
数日後の満月の夜、立夏は遂に家を出た。
己を縛るものから解き放たれるため。卵の殻を破壊するため。
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noir #12 に続く
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