noir #19
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罪を抱いて堕ちるなら、一度だけその腕で抱いて───。
辿り着いた部屋。
いつか見た時のように圧倒的な存在感を放つ機械の前に立ち、改めてそれを見上げた。
仰々しさの割に操作はシンプルなようで、初期化後に新たなデータを書き込むなどの複雑なリライト処理をしなければ、恐らくは自分でも動かすことが出来るだろう。少なくとも性別を変える程度であれば難しくない。ギリギリの崖っぷちまで全速力で走って来た立夏は、ようやく立ち止まり、改めて自分の胸に問い掛けた。
機械に入るということは、記憶をオールクリアするということ。
これまでの人生も、アイデンティティも、彼と過ごした時間も、何もかも。その声、そのぬくもりさえも。
「……っ」
黒曜の瞳を思い出し、鼻の奥がツンと痛んだ。自分には捨てる物など何もないと思っていたのに、そして望むものもありはしないと決め付けていたのに、こんな時になってようやく分かる───等価交換の法則。未来のために過去を差し出すのだと。
「氷室……ごめん……」
これが正解かは分からない。これがおまえのためかも分からない。
「ごめんな……」
それでも今思い付くたったひとつの方法だから。どうか許して。そして笑って。
「……俺に、笑ってみせて………」
懐かしい笑顔を思い浮かべながら、立夏は手近な紙片にメッセージを残した。
最初で最後のラブレター。彼のすべてを失いたくなかった。だからこそ、その代価で在れるのなら、この記憶さえも惜しくはないのだと。
ごくり、喉が鳴る音だけが響く。
短い手紙を傍らのテーブルに置くと、少年はレバーを回しハッチを開けた。キィという小さな軋みに続いて内部の空気が外気に混ざる。だが意を決して中へと足を踏み入れた瞬間───背後で物がぶつかる音が響いた。鍵の掛かったドアを力尽くで開ける氷室だった。
「何をしているんですか!」
開口一番、鋭い叫びが突き刺さる。来た時の勢いのまま一直線に駆け寄った執事は、身構える立夏を羽交い締めにした。
「止めんな、氷室」
「分かってるんですか、記憶が消されるのがどんなことか!」
「分かってるよ」
「分かっていない。あなたは何も分かっていない!」
「分かってる! 仕方ないんだ。これしかないんだ」
「どうしてそんな風に決めつけるんです」
両手首を掴んだまま言い争った弾みで、氷室は肩を壁に強打する。
「……ッツ、」
背筋を伝う痛みに顔を顰め、思わず睫を伏せた際、そこに置かれたメモが目に入った。
「これは……」
ほんの数行だけのラブレター。どんな言葉より真直ぐな想い。
見下ろした先、立夏は俯いていた。
「………俺が変われば、おまえと一緒にいられる。誰も傷付かずに済む」
「私と、一緒にいるために?」
「何度も言わすな」
「……立夏、様……」
苦しめてすみません、そう耳元で告げる声。
気が付いた時には息も出来ぬ程の力で逞しい腕に包まれていた。
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唯一大事なものを守るために、一番大切なものを差し出す矛盾。
いよいよ運命のカウントダウンです。
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noir #20 に続く
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