sign #19
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暗闇の中、カメラマンが呆然と己に向き合う頃───カウンターの奥でバーテンダーが残り香を抱いていた。
「……渉が?」
「あぁ、俺に渡してもう帰ったがな」
慌てて店のドアに目を遣る相方を見ながら、オーナーはヤレヤレと溜息を吐く。
「おまえに気を遣ってくれたみたいだぞ」
「そん、な……」
会いたかった。
開き掛けた唇が動きを止めても、梶原には全部分かる。花束を抱えたまま俯くコウの頭に掌を乗せ、思い切り左右に掻き回した。
「わっ ちょ、何すんのカジー!」
「ハハ。やり過ぎたか、凄い頭になったな」
裏で直して来い、目で促してくれた策に感謝だ。
「……ありがと」
「礼なら後でキッチリ聞いてやる」
薔薇を抱えたままバックヤードに駆け込んだコウは、電気を点ける間も惜しんでポケットから携帯電話を取り出す。無遠慮な液晶の明かりに目を細めながら、もう何度も見慣れた番号を鳴らした。
ひとつ、ふたつ、呼び出し音を数えながら祈るように拳を握る。
「……出て、お願い……」
もうダメかと思ったその時、留守電に切り替わるギリギリのタイミングで通話開始音に切り替わった。
「……もしもし、コウ?」
ややくぐもった声。電話の向こうは外の気配。
「うん。……さっき、来てくれたんだね。お花ありがとう」
「イキナリ押し付けてすまなかったな」
「そんなことないよ……」
腕の中の薔薇を見下ろし、思わずそっと頬を寄せる。鼻孔を擽る芳香が彼の香水を思わせた。
「声掛けてくれたらよかったのに」
「いや、邪魔になるかと思ってね……」
電話の声はいつもと違う。そんなことが、今この瞬間に痛感する。
もう少しだけタイミングがよければ、自分が彼を見付けていれば、或いは直接顔を見ることも出来たかも知れないのに。それがついさっきの擦れ違いなのだと思うたび、掌が竦み、汗が滲み、焦燥感に煽られた。
会いたい───。
気持ちがハッキリとした言葉を持つ。逸る心に脈さえ遅れる。
「今どこ? 外にいる?」
「あぁ。だが悪いがもう一度は行けそうにない。……遠いんだ」
けれど。
その言葉に嘘が混じったのを、コウは耳敏く見付けてしまった。商売柄身についてしまう長所というのは諸刃の刃、こんな時に嗅覚が鋭いことを呪うしかない。
会いたいと思うのは自分だけなのかも知れない。
「……そっか、残念」
だから何気なさを装って返せば、向こう側の空気が和んだ。
残酷な人。
「誕生日、おめでとう……」
そして最後にそんな言葉で電話を切る優しい人。
切なさに胸が痛んだ。
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なんでこのふたりこんな不器用なのかしらと自問自答(>_<)
微妙な誤解をし合っているこのふたり、さて、どうなりますことか……。
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sign #20 に続く
sign #18
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暗闇の中、引き連れる薔薇の香り。
通い慣れた道を辿る足取りは軽く、ここ数日の激務など明後日に放り投げたように小気味よい靴音を響かせる。肩から提げたシルバーのカメラケースも撮影用バッグも容赦なくその重みを凭せていたけれど、それでも浮き立つ心には敵わなかった。
「慣れないもの持つとやっぱり恥ずかしいなぁ」
見下ろす傍ら、携えたのは真っ赤な薔薇。
撮影の小道具として用意された大量のそれを、渉はクランクアップと同時に二束三文で買い取った。どのみち捨てるか配るかしかなかったのだからと恐縮する美術担当を、なんとか宥め透かしたのには理由がある。タダでもらったものはプレゼントに出来ない。
「……イキナリ渡したら驚くかな」
彼の人の顔を思い出し、カメラマンは悪戯っ子のように笑う。
腕時計が23時のアラームを鳴らすのを止め、ひとつ呼吸を整えて。見慣れた店のドアを引けば心地よいジャズの調べと───店内を埋め尽くす客の姿だった。
「……うわ、」
これまでに見たことのない混雑振りに渉はのっけから圧倒される。座る椅子などとうになく、店内では誰もがグラス片手に立ち話を繰り広げていた。いつからここはスタンドバーになったのだと瞬きを繰り返す渉に、入り口付近にいた男性が声を掛けてきた。
「あんたもコウちゃんのお祝い組? ……綺麗スね、薔薇」
「あぁ、これは……。それより今日は何かのお祝いなのかい?」
「え? 知らないで来たんだ? 誕生日なんスよ、今日」
ホラ、と指差された先、人波の向こうでコウの横顔が僅かに見える。たくさんの常連客に囲まれ、次々と差し出されるプレゼントを受け取りながら満面の笑みを浮かべていた。
「……あぁ、そう、か……」
なんて屈託のない笑顔。
この距離じゃ、その闇はまるで見えない。
「そうなのか……」
この距離じゃ、腕も声も届かない。視線さえも交わらない。
「僕、帰ります」
「え? 折角来たのに。花だって……」
「いいんです。……あぁ、梶原さんがこっちに来た。彼に渡して帰ります」
「え、ちょっと、あんた」
なおも引き留めようとする客に一礼すると、渉はそのまま身を翻す。丁度店内を掻き分けるようにやって来たオーナーを捕まえると、挨拶もそこそこに花束を差し出した。
「すみません、これ、渡してあげてください」
会うや否や真っ赤な薔薇を渡されて一瞬度肝を抜かれた梶原も、相手が渉だと知ると振り返ってコウを呼ぼうとした。
「あ、いいんです。ちょっと寄っただけなので……」
「いや、それだと後から俺が殺される」
苦笑を浮かべる梶原につられて眉根を寄せつつも、どうしてだろう、今は上手く話せる気がしなかった。
「明日また早くて、すぐ行かなくちゃいけないんですよ。すみません」
曖昧な笑みで答えると、何事かを察したのだろう、梶原は大きくひとつ頷いてみせる。
「じゃあ、また来ます」
そうして返事も待たずに渉は再びドアに手を掛ける。滞在時間わずか5分。それでも抱えたインパクトたるや初回のそれに匹敵した。
輪郭のない想い。
口元に手を当て、渉は混乱を抑えることしか出来なかった。
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あーなんか。なんか落ち着かない。書きながらムズムズしてます。
やっぱ恋愛には引き潮と満ち潮が必要よねぇと突然大きな宇宙観(~_~)
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sign #17
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泳ぎ疲れた魚は遙か遠くの沖を振り返る。
そこには自らの身体から削げ落ちた鱗という名の痛みが波間に光るばかりで、こうなって初めて、苦しかったことを知った。
もっと息を吐きなさい。もっと楽になりなさい。
そう言ってくれた人。自分を心から心配し、抱き締めてくれた人。
「渉…」
思い出すたびに胸が熱くなる。自分はどんなに情けない顔をしていただろうか、そう思い返すほど、彼の前で素顔を晒せた嬉しさに自然頬は緩んだ。これまで多かれ少なかれ、誰に対しても心の闇を隠すための城壁を作ってきた自分なのに、彼だけは───渉の前でだけはそれが必要ないのだと分かった。痛感した。
だからこそ、感謝している。
自分の中で日々大きくなる彼の存在。こんなに素晴らしい人と出会え、ほんの一時だったとしても交わることが出来たのは、人生の中で本当に大きな意味があったことだと思うから……。
口端に穏やかな笑みを浮かべながら開店準備に勤しむコウは、だが己の中に生まれつつある想いが双方向だと気付いていない。渉にとって自分の存在とはどれほどの大きさであるのか、その着眼点に思い至ることさえなかった。他人のことには人一倍敏感で、その実自分のことには無頓着。渉に言わせればこれ以上のない不器用さは、だからこそ彼をより魅力的にしていた。
「……百合はお気に召さないか?」
ふと目を上げれば大輪の花。
「わっ カジー、どうしたのソレ!」
いい匂いね、と笑うとオーナーもつられて口端を上げる。
「わざわざ調達してやったんだ、誰かさんが誕生日だからな」
「うそっ 今日だっけ? やーん。嬉しい〜〜〜」
ありがとね、と投げたキスを小狡く避けつつ、梶原は純白のカサブランカをカウンターに飾った。そう、今夜はコウの誕生日であり、彼のお祝いにと多くのゲストが入れ替わり立ち替わり訪れることは予測範囲。昨年など入れ替え制にさえなったのだ。あの時は大変だったよなぁと未だに愚痴を忘れないオーナーに苦笑しつつ、「アタシの人徳ってヤツ?」と返すことも忘れない。
「ホラ、準備いいか。開けるぞ?」
「ハーイ」
ドアを開ければ軽やかなベルの音と共に夜の空気が流れ込む。
「いらっしゃいませ」
「ハッピーバースデー!」
まるでハロウィンのように。
開店と同時に鳴り響くクラッカー。耳元の轟音に目を白黒させる梶原を指差して笑いつつ、コウは満面の笑みで客達を迎え入れた。
「コウちゃん、おめでとー!」
「やーん、ありがとーvvv」
次々に差し出される花束やボトルを受け取りながら、バーテンダーは張り切って袖を捲る。
「さ、なんでもゆったげて! 超美味しいの作るから!」
「じゃあ俺、コスモポリタン」
「久しぶりにアレキサンダーにしようかな」
「トム・コリンズが飲みたい」
「俺エル・ドラードで」
「ちょぉぉっと! なんでいっぺんに言うの、しかもシェークばっかりっ」
「ハハ、頑張れ」
「カジーも笑ってないで手伝ってよっ」
「いやぁ、俺は他人の晴れ舞台には上がらない主義なんだ」
ニヤリと口端を持ち上げ厨房に消える相方を見送りつつ、コウはキーッとハンカチを噛む。とはいえ、目の前の常連にリクエストされて嬉しくないはずなどなく。
「よっしゃ。そんじゃ一丁、頑張りますか!」
拍手喝采に迎えられ、忽ちのうちにテンションも鰻登り。
笑い、喋り、美酒に酔う。
記念日まだ、始まったばかり。
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昨日はたくさんのバナークリック&web拍手ありがとうございました!(^-^)v
割とローテンポのお話なのでちょっと心配してましたが、
少しでもお楽しみいただけてたら嬉しいです。これからもよしなに〜<(_ _)>
<カクテルメモ>
・コスモポリタン
「全世界共通」や「国際人」という意味を持つマティーニの1種。
レシピはウオッカ、コアントロー、クランベリージュース、
フレッシュライムジュースのシェーク。
・アレキサンダー
イギリスの皇太子妃アレキサンドラの名を持つ。
レシピはブランデー、クレーム・ド・カカオ・ブラウン、
生クリームのシェーク。
・トム・コリンズ
ジン・トニックに似た味わいだがややこちらの方が酸味が強い。
レシピはドライジン、レモンジュース、シュガーシロップ、
ソーダのシェーク。
・エル・ドラード
かつての探検家たちが南米北部にあると信じていた理想郷の名を持つ。
レシピはテキーラ、レモンジュース、はちみつのシェーク。
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sign #18 に続く