sign #01
何気ない日常のほんのヒトコマ。
そこにはいつだって特別なサインが隠されている。
「お疲れー」
「お疲れ様っしたー」
スタジオの一角。
照明担当に指先で指示を出し、スポットライトの明るさを抑える。天井からつり下がったロールスクリーンの前、ホッと息を吐いたモデルを相手に、構えていた愛機を下げ、カメラマンはにっこりと笑った。
撮り始めてからもうどれくらいだろうか。
カメラの操作に邪魔になるからという理由で渉は腕時計をしない。ただでさえ日光を遮断する撮影所に籠もっていては時間感覚もなくなるというのに、仕事に熱中してはなおのこと。ポケットから引っ張り出した時計を見下ろしたカメラマンは、そこで初めて大きく息を吐いた。既に針は交差を終え、次の日へと主を追いやっていた。
───写真が好きで、飛び込んだ世界。
専属雑誌のイメージに縛られたくないと敢えてフリーランスの道を選び、確かな嗅覚だけを頼りにそこそこ忙しくやっている。若い頃は仕事最優先にするあまり生活は二の次となり、それを誤魔化すために体力だけで凌いできたが、それもそろそろ34という年齢には厳しくもあった。
カメラのファインダーを拭き、レンズケースに収める、いつもの手順。考え事をするほど手付きは丁寧になり、現実世界から遠ざかってゆくのだけれど、そんなカメラマンを明るい声が引き戻した。
「吉岡さーん、飲み行きます?」
「……今からかい?」
振り返ると見知った顔が笑っている。ここ半年一緒に仕事をしてきた気心の知れた連中だった。
「いいじゃないスか、折角だし。俺らみんな朝までコースッスよ」
「若いなぁ」
俄然張り切り出す若いスタッフを見回し苦笑をひとつ。かつて自分のハチャメチャさを諫めてくれた大先輩がそうしたように、いつの間にか自分はこちら側の立場になったのだと感慨深くさえあった。
「うーん。まぁ今回はやめておくよ。身体もしんどいし」
「吉岡さん、まだ若いのに何言ってんスかー」
「楽しんでおいで。……それじゃ、また来月」
そう言って手を振ると先に立ってスタジオを出る。ドアを開けるなり巻き上げる風に空を仰ぎ、夏の終わりを懐かしんだ。
「あぁ、いいなぁ」
夏の夜は訳もなくワクワクしてしまう。子供の頃からの癖。最後の一枚を撮り終えた後の高揚感と相俟って、ふと、やっぱり参加すればよかったかと後ろ髪を引かれた。
だが実際、ひとりでいる方が楽な性分の渉にとって落ち着かないだろうことは予想範囲。自分の心ながら自由にはならないものだとカメラマンはそっと目を細めた。
「それならどこかで飲んで行こうかな……」
伊勢丹を横目に見ながら夜の街を闇雲に歩く。
生まれも育ちも東京の渉にとって新宿は勝手知ったる土地だったが、ひとりでフラリと立ち寄れるような馴染みの店があるわけではない。もともと大勢で飲むことは少なく、仕事帰りに寄るにはいつも時間が遅過ぎた。こんな風に気紛れを起こさなければ真直ぐ帰って寝るだけなのだ。
「……あ、こっちの方がいいか」
東口に向かっていた足を、思い付きで右に向ける。歌舞伎町まではまだ幾分あるそこは、同僚からの隠れ蓑ともなる場所───2丁目だった。
勘を働かせるまま表通りから一本奥に入り、いくつかの角を曲がった先。船の舵を象った入り口が印象的なバーと覚しきその場所は、『ships』と刻印された店名がライトで綺麗に浮かび上がっていた。
それはほんの偶然。
だけどきっと必然の。
ドアに手を掛け、ジャズの洗礼と共に世界が一転。
「いらっしゃいませ」
それが運命の始まりだった───。
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さて、いよいよ始まりました『sign』。
途中『ships』メンバーも友情出演させたいなと思っております。
最後まで見守ってやってくださいね!
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sign #02 に続く
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